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Title 『開巻一笑』小考 Author(s) 川上, 陽介 Citation 京都大学國文學論叢 (1999), 2: 15-33 Issue Date 1999-06-30 URL https://doi.org/10.14989/137273 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Title 『開巻一笑』小考

Author(s) 川上, 陽介

Citation 京都大学國文學論叢 (1999), 2: 15-33

Issue Date 1999-06-30

URL https://doi.org/10.14989/137273

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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『開

一笑

小考

川上

陽介

『開

一笑

の思

(一五

二七

一六

二)

って

び笑

話集

では

(一七

)、都

庭鐘

の訓

て、大

・同

(菊

)惣

(;。

・下

、上

は遊

文章

下集

(三。上

、巻

・十

、巻

・十

六条

、巻

・十

】条

〔三、巻

・十

、巻

・九

、巻

・十

・十

〇条

下集

・六

、巻

・六

一条

、巻

・五

〇条

、巻

・五

、巻

・四

巻六

・五

一条

・四

すな

の中

上集

のみ

たと

西Hが

「圃

」を

上集

の戯

五条

、上集

「幣

」「賭

二条

、「開

一笑

二」と

であ

〔五}。

和刻本

『開巻

一笑』に附

された

「巣庵主人

(都賀庭鐘

)」によ

る巻

頭識語

の内容

は以下の通りであ

〔+c。

『開巻

一笑』は明

の李卓吾が編集し、また屠赤水が参閲を加え

たものである。後人が捌補改題したも

のを

『山中

一夕話』と

う。上集

下集

、それ

ぞれ七巻あり、上集は主に詞賦伝記を集め

たも

の、下集は笑言嘲昧をなすも

のが多

い。私は

以前童学

のた

めに、点を付け

て語釈を施

した

ことがあ

るが、

それは談話教材

としては有益だが、まだろ

っこしく

て、笑うに笑えぬ。

そば

聞いて

いる人

の耳を楽しませる

にはまだまだ不十分であ

った。

鹿

鳴散人が訳文を附す

るに至

って、勢

いよ

く流れ

る水

のように、

その面白さが堰を切

ってあふれ出

し、滑稽

の面目が始め

てここ

に備わ

ったと

いうも

のであ

る。また、無理に卑俗なも

のだけを

ここに選んだわけ

ではな

い。書騨が本書

の出板を散人

に依頼

るに当た

って、散人が原本十

四巻中、

この

一巻

だけを書聾

に授

けたと

いう

のは、全巻を刻す

るには余り

に繁雑

すぎ

ことを恐

れたのであろう。さ

て、世

に談話を事とす

る者

にと

っては、

言でも言葉が詰ま

ると、さわやか

な弁

舌に傷

つく

のである。

言葉がすらすらと流れれば、言葉

の厳密な意味

つかめなくて

も、聞いて

いられるも

のであ

る。

以下に示す各篇

に附

した訳文

は、連綿とし

て途切れな

い。御覧

にな

られる読者諸賢

の方々に

は、=召

↓句も詰ま

ることがな

いというこ

の点を買

って頂

いて、

15一

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そそ

っかし

い読

み違

いに

ついてはお見逃し願

いた

い。鹿鴫散人

は方外に遊ぷ隠

子であ

る。

張という姓を名乗

っているのは李氏

に対する仮名にすぎな

い。

宝暦五年

乙亥初春浪華逸

民巣庵

主人識す。

ここで庭鐘は、出板に際

して特

に卑俗なも

のだけを選択した

ので

はな

いように記して

いるが、実際

には、痴情、遊里、男色、賭博

った悪所にま

つわ

るテー

マに沿

った十四篇

の文章を、巻

二ばかり

ではなく、

巻三からも意図的

に二篇

を選び出し、それらに訓訳を施

したものである。

二、文体的特徴

『山中

「夕話』上集七巻に収録

される文章

は、白話語彙と、時

呉方

言語彙

とを用

い、対句表現を頻

用して、「詞賦伝記

」(三というさ

まざまな文体に見立

てて記述

された戯文であ

る。

下集七巻

に収録

れている笑

話に見られるような、対

話形式

の会話文を中

心と

して構

成される文章ではな

い。文中

に、

登場

人物による対話形式が用

いら

れる場

合でも、例えば、『笑府』

十三巻

〔八▼に見

られるような、生々

しいあ

から

さまな口語表現とは異

なる。次に

『笑府』と

『山中

一夕

話』上集中か

ら実

例を挙げ

る。

『笑府』

巻六

「認鞍

」(九》

農起

、復

、朝

、ま

使

「よ

の靴

るが

已見

の靴

て、

に後

我錯怪祢

了、

「お前を誤解してすまなか

ったな。

原来昨夜跳窓的

すると昨夜窓

を乗り越えて行

った

のは、

倒是我

あり

ゃこの俺だ

ったんだな」

『山

一夕話

「Y

(十

一丁表

〔δ})

の時

天尊

のお

。「こ

のバ

ロー

いや

とわめき散らし、

狼罵這些賎碑難生

。「このゲ

ス豚め、生か

してお

くか」

とぶち切れる。

このように、『山中

一夕

話』上集

にお

いては、会話文中における表現

でも、対句表

現を作

るために字

数を

そろえ

る努力が

払わ

れている

とが多

い二二。宝暦五年

(】七

五五)に都賀

庭鐘が訓訳した

『開巻

笑』

二冊に収録

される十

七篇

の文章は、対話

形式

による生

々しいあ

からさ

まな

口語表

現をさほど多くは使用

しな

い、そう

いう

『山中

夕話』上集巻

・三より選抜さ

れたも

のであり、「詞賦伝記」の文体

に倣

った対句表現を基本

とする文語的散文

である。文語的

とは、現

代中国語と

しては

理解しにく

いと

いう意味

でもあ

り、また日本

人に

っては、

一字

一字

の字

義をたどる

ことによ

って訓読

による理解

比較的容易

に得やす

いと

いう意味

でもあ

る。白話小説

通であると同

時に、『康煕字典

』の校

訂にも携わ

ったと

いう博識な

「小説家

の学者」

=二 と

して知

られる都賀庭鐘

の力量を存分

に発揮

する

のに恰好

の素

材であ

った

と言え

るであろう。

ただし、原文

の使

用語彙に

ついては、文言

・白

・方

言とい

った

つのレベル

=三}が

さまざまに混在

し、特

に呉方言語彙を意識的

一16一

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「閨

」(西}な

は、

に注

三、

形式的特徴

て、和刻本

『開巻

一笑』

に見られる訓訳方法

ついては、都賀

庭鐘自身が巻頭識語

にお

いて、

-夫

ノ談

-説

。評者

、苛

モ丁

-喋

スレハ、以

テ害

ニァリ清

-言

一二、

ニトキハ語

―出

テ快

-利

一ナルヵ、則言

-理

・ルモ属

セ、亦

二可

・聞

―、

-篇

・ルヤ訳。也、

-綿トシテ無

・有

二。ト間

-断

一、

-覧

.君

-子

以三其

二。吃

-際

一、

二寛

ニセヨ歯

―葬

一ヲ

を事

って

一言

でも

つく

ので

る。

らす

らと

の厳

な意

つか

ても

いら

ので

示す

各篇

綿

て途

られ

読者

の方

一言

一句

も詰

とが

いう

って

て、

っか

い読

み違

つい

ては

見逃

い。

と記

している。庭鐘が本書を

刊行する宝暦五年

(一七五五

)以前

訓訳形式と

しては、例えば

岡白

駒や沢田

一斎によ

「小説

三言

」に

見られるような、

返り点

・送

り仮名

・連字

符号

の他、必要な語句

左側に俗語

の注を加え

るという

方法がとられ

ていた。庭鐘

は、

それ

に加え

て、原文

の右傍

に片仮名

総ルビ

の形

で全

ての訓読文

に読

みを

付すと

いう

、これまでに、そして

これ以後も、他

に例を見ない、「連

綿ト

シテ間断有

コト無

」き

形式を備え

ている二乙。明和五年

(一七六

)に江戸

で刊

行された

『笑府

』は、原文

の訓読

と左

訓に加え

て、

別に漢字片仮名交

りの訳文を付す

ものであ

ったが

〔一さ、『開巻

一笑』

に見え

る都賀

庭鐘

の方法

は、形式

的にも内容

的にも、訓読

と訳文

を折衷

したものと言えそうである。右傍に付された

「訳」コ芭は、形

式的

には訓読に従

っているが、必ずしも古典的な漢文訓読

に準じた

み方

を音

読表記したにとどまるも

のではなく、それぞれ

の語彙

されたルビには、かなり自由奔放な意訳がなされて

いる(天}。その

意味

にお

いて、訓読形式に従

いながらも内容的には所謂訳文に近づ

いて

いると言える。しかし、

それ

でもやはり、そ

のまま右傍に付さ

れた片仮名

を通読しても、原文を離れ

ては理解しづら

い性質

の文章

であると

いう意味にお

いて、依然とし

て訓読と

しての形式を脱

しき

れな

いも

のであり、見方

によ

っては、白話文を語釈

と返り点

のみに

って、力つく

で読

みこな

そう

とす

るきわ

めて強

引な試

みであ

ると

言う

ことも

でき

(一九}。

また、都賀庭鐘が白話文を中

国音

で読

んでいたのかどうか

つい

ては、わからないといわれる

三。)。『開巻

一笑

』の訓訳方法

の形式的

な特徴から窺われ

る事実

は、本書

には原文

の音韻に関す

る注記が皆

無だと

いう

こと

であ

る。宝暦

三年

(一七五三)に、岡白

の訓訳を

付し

て刊行された

『小説奇言』

ですら、例えば、巻

(八丁裏7)

にお

いて、

ロ一―個

ニル侮

ノ意

一二

とす

るよう

に、声

調の違

いによ

って意味が異な

る語彙に

ついては、

四声点

の形

で音注

を加え

ている

三;。岡島冠山

『唐話便用』(享

二十年

(一七三五)刊

)に至

っては、す

べての文字に

ついて四声点

を施

し、

さらに全文

にわ

って江南音を傍注す

ると

いう徹底ぶり

一17一

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三一こ。そ

に対

て都

『開

―笑

』は

、例

、坤

(三

1

2

)

は、

ニナ

ノケ

フウ

・友

-勤

二探

-使

一、

・花

-

;東

-風

のよ

、「ナ

」と

「タ

ニ」と

の違

いに

って声

調

「為

」に

つい

て何

記が

い。『小

』な

不・得不二.,ヲ為㌧汝ヵ痛―惜

(巻

五、七丁表4)

と四声点を付すと

ころであ

る三=こ。このように、音韻

に関す

る注

記を

しな

いという

『開巻

一笑』

の性格

は、都賀庭

鐘自身

の著作と

いわ

『四鳴蝉

(明和

八年

(↓七七

一)刊)に

ついても同様

であ

四H。『四鳴蝉

』の例

は、同じく日本人

の白話著

作である

『訳文

由縁看

月』

(宝暦

八年

(―七五

八)刊)が

、左傍に薗

八節

「ゆかり

の月見

の原文

を添えながら、やはり右傍

に、全文

にわた

って唐音を片仮名

表記す

るという形式をも

つのと対照的

である三互。このことか

ら、都

賀庭鐘が白

話文を音読して

いなか

ったと断

定するには、まだ根拠が

不十

分であ

るが、少なくとも、読者

の側

に音

読を期待しな

いと

いう

庭鐘

の意思

は、反映

されて

いる

のであ

ろう

『開巻

一笑

』にお

いて、多

少とも漢字音

に関わると思われる記述

は、「釈義

」に述

べられる次

の二条

であ

る。

寄・謎

孤老

子弟来

ラズ或

ハ別処

二跳槽

スルアレ

物ヲ遣

ヲ以テ情

ヲ達

スル也

バ炭

ノ炭

ノ音

ヲ仮

リテ長

キ短キ交

ル炭

ヲ遣長嘆短嘆ト

ナゲ

ヲヨセ系

ノ系

ノ音

ヲ仮リテ多少

ツニワケ束ネ

テ千思

万思ノヲ

モヒ

ヲカ

コツ類也此邦ノ俗男女

ヲ寄

ニ炭

ヲ贈

コガル

・意ヲ示

シイト

シキトノ謎

二系

ヲ遣

ルコト田舎

ニハ今

モ行ルヨシ読ト音ト

ハ異

ヘトモ用ル処

同シキ華

符合

スルコト

ハ感

スベシ(坤巻

、四三丁表8~

3

)

ハウ。

ニタ

・ヌ

又鳥

ノ音

尿

ト通ズ罵

テク

ソト云コト也ト云説

アリ未タイブカ

(坤巻、五

丁裏5

)

いずれも音韻

に対す

る関

心の薄

さを窺わせ

る。とりわけ後者

の注記

は、内容的にあまり適切

ではな

い。罵辞とし

て用

いる場合

、「鳥」の

発音

冒置o]

であり、「屈

(男性生殖器

の意

)」

と通じる。「尿

(口

冨o)」と通

じるとす

れば

、「鳥」

の発音は

隷o]

であり、

その場

合、動物

の鳥

の意

であ

る。庭鐘自身、「イブ

カシ」とする他説

の引用

ではあ

るが、例えば、宝

暦七年

(一七五七)刊、陶

山南濤

『忠義

水漕伝解』

には、

クソグチト云

コト鳥

ハ総体罵

ル辞

也日本

ニチク○

二当

ル鳥

ノ字禽

ノ時

ハニヤ○ウ

ノ音

ナレトモ罵語

パテヤ○

ウ也

(第

二回、

三〇丁裏)

晦気

ソムネンナト云

コト大坂

ノ下賎

人ノケタイク

云力如

(第

⊥ハ回、

五六丁表)

と記され

ている三さ。陶

山南

濤ならば罵辞

「鳥

」の音が

「尿」と通

いことは正確に理解

でき

たはずであ

る。庭鐘と南濤

の白

話語彙

習に対する姿勢

の違

いを考

える

のによ

い例

であろう

この二条

「釈義」を例外

とすれば、都賀庭鐘

の訓訳本

『開巻

笑』に音韻注記が皆無

であ

ると

いう性質は、

この時期

の類書に比し

て、非常に特徴的な

ものである。

また、各篇末に難読語彙

の注釈とし

「釈義」を

付す

のは、岡白

の訓訳によ

『小説精

言』(寛保

三年

(一七四

三)刊)が各巻末

「訳義」を付す

のと同様

であ

る。

18一

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四、個

別語彙

の検討

都賀庭鐘

の訓訳

の性質を吟味す

るにあた

って、最も望まし

いのは、

原文

それ自身と、原文

の全訳、

そして庭鐘

の訓訳とを

比較

対照す

こと

であ

るが、現在、和刻本

『開巻

一笑』

所収十

四篇

に対する全訳

準備中

であ

るため、精密な調査報告

は別稿

に期

し、本稿

では、現段

階にお

いて、庭鐘

の訓訳

にお

ける全体的な傾向を説

明す

のに適当

いく

つか

の用例を取り上げ

るにとどめ

る。

○介詞

「与」

古典訓読語によ

っては対応

しきれな

い白話語彙

に、介詞

「与」が

ある。明和五年

(一七六

八)京都刊

『笑府』(巻

下、十四丁表

)には、

シテ与

レ汝

る。

口語

に多

のよ

「与

」に

つい

、大

、天

四年

(一七

)

『初

(九

―○丁

)

のな

、『臨

の例

、「与

」を

「二」と

べき

とを

こと

つい

、以前

こと

三三。今

の例

の場

「わ

って見

のだ

」と

いう

であ

三八}、「吾

テ汝

ル」

いう

や意

る。

『開

一笑

に使

「与

」は

、全

うち

「二」

べき

、次

三九)。

ニー罷

-児

―、

二衆

-姐

-姐

}説

-道

(十

2

)

一曲

い終

って、

-後

-窩

-中

-呼、

(額

Y

一、

便

―云

-

ケイカン

ナンメウノアフ

セイジツニ

コノ

イヤウノ

ヨカラ

キミトキ

ウルニO

-難

二生

-日

一、

-

-情

不・好

二与

・祢

-

カ・

タンジヤウ

(二四丁表6~8)

馴染みになると、布団の中で息荒げ、鼻

(額)にしわを寄せ

つつこう言う

のだ、

「内のやりくりが大変な

の、お母さんの誕生日だ

って

いう

のに

……こんな

こと、あなたに言

ってはいけな

いわね」

・衆

-知

二暁

-諭

(五

丁裏

5

)

ツゲシラス

ヲ・セツケラレ

の者に通知する。各人暁諭に遵う

ぺし。

いずれも庭鐘は正確に

「二」と読

んでいる。介詞

「与」に

ついては、

文言

・白話、いずれ

の用法に

ついても何ら問題なく理解され

ていた

ようである。

○接

「1

くは唐

詩にも使用される

こと

の多

い口語表現

に副詞語

尾を構成

する接尾辞

「自」がある。塩

見邦彦

氏によれば

三9、全唐詩に使用さ

れる用例には、

(も

)・但

(た

もか

)・独

(ひ

)・

(お

のお

の)・忽

(た

)・空

(む

)・浪

(み

)・偶

(た

)・尚

(な

)・徒

(む

)・

(ぶ

)・虚

(む

しく

)・猶

(な

、や

)・終

(つい

)

ど多

数あ

「自

いず

い助

で、

な意

はな

、従

、「但

「尚

」「終

に自

」な

は誤

あり

、二字

「た

」「な

」「つ

」であ

ると

る。

19一

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のよ

「自

」は

、『唐

』には

、「空

二例

「猶

一例

「独

一例

これ

に対

(一七

)

郭弁

・林

『唐

のよ

に訓

〔=三

シク

の長

(巻

二、

一丁

0

)

シク

二寒

―二

(巻

)

ナヲヲノヅカラインシヨト・コフル

おのずか

いんしよ

いつきよう

とどこお

―二

―二

ら音書

一郷

(巻五、

二八丁オー1~ウー、柳宗元、

登柳州城楼寄潭汀封連

四州刺史

)

.狂

・憶

・ハ家

(巻

、二

、劉

禺錫

、浪

)

ところが、

寛政十

―年

(一七九九

)刊、大典禅師著

『詩家推敲』巻

之上

(三丁表)には、

○本自

独自各自手自猶自徒自

只自

信自空自亦自也自偏自要自

ミナ上

ノ字

ニツヒ

テ用

ユ君自

我自ノ類

ハ則

ノ義

二近

と記

され〔―三二、副

詞語

尾とし

ての助字

「自

」の文法的機能

を、す

でに

正確

に理解

している学者も存在

したことがわかる。和刻本

『開巻

笑』

に使用

される接尾辞

「自」は

七例あ

り、そ

の訓訳は以下

の通り

であ

三5。

・犯

・之

、犯

ニー了

一時

ニー殺

一(一丁

8

)

-巴

レ他

-自

(二丁

3

)

-自

-

・有

二暴

-戻

一、可

・減

一ニ

ー半

一(六

丁表

2

)

アラケナヒ

二敢

・身

一、

・気

・声

(十

5

)

ズ漫

-自

-

-

(十

一丁

1

2

)

-行

(十

一丁裏

1

)

-春

―少

一・

(二

7

)

「独

(ワ

)」「漸

(ソ

)」「漫

(ユル

ニシ

)」

の三例は、

二字

で副詞

一語を構成す

るものであることが理解されて

いたよう

であ

る。

「猶自

(ナヲヲ

ノヅカラ

)」

ついては、

漢詩

にも

常用

の語彙

であるため、意

味は正確に捉えて

いながら、訓読

の慣

に従

っただ

けかもしれな

い。と

ころが、「且自

(カ

ツミヅ

カラ)」「且

(カ

ツヲノツカラ

)」「柾自

(マゲテミヅカラ

)」の三例に

ついては、

いずれ

も文

言としての字

義を

一字

一字に付与

した訓

み方

であり

、こ

れら

の表

現が、二字

で、「しばらく

」「いたずらに」という意味を表

す副詞

であ

り、「自」が実義と

しての意味を

もたな

い助字

であると

う文法的な

理解

は不十分であ

ったと思われ

る。

したが

って、大

典禅

師と

は異なり

、都賀

庭鐘

には、副詞語尾を作

る接

尾辞

「自

」のも

文法的機能

に対す

る理解

はやや欠け

ていたと考え

られる。都賀

庭鐘

の訓訳方法

は、原

則的にはそれ

ぞれ

の文字

の実義

に則した理解に従

い、とき

に文

脈に沿いながら臨機応変な訓

みを選択す

るも

のであ

たと言

うことができる。

○連詞

「既然」

ころが、文字

の実義に

こだわりすぎ

ると、かえ

って文意をたど

にくくなるも

のに、連詞

(接続詞

)を

用いた呼応表現がある。

一つが

「既然」であり、「~

したからには」「~である

以上」

とい

一20一

Page 8: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

う意味を表す。

現代語

では、

既然侮

一定

要去、我也不反対。

君がどう

しても行

くという

のな

ら、私

もあえて反対

しない。

事情

既然已経這様了、後

悔又有什慶用咤?

事態がす

でにこうな

った以上、後

悔した

って何にな

るか。

られ

、多

「就

」「也

「還

」、あ

いは

(三四》。

「既

の用

歴史

つい

、太

のよ

三五}。

《既然》《既是》

〈…であ

るか

らには

〉と、ある事實を

承認し、それを論披とし

て更に推論す

るもの。古代語ではこのばあい軍に

《既》と

いう

が、これに接尾僻として

《然》《是》が

ついたも

のである。古代

語どおり

《既》だけも現在

なお

用いないわけではな

い。《既》

は過去におけ

る完成をあらわす副詞

であるが、時間

の観念

が轄

じて承認推論す

るも

のとな

った

ものであ

る。

の考

、前

「自

、「既然

「然

」も

伴わ

助字

。『開

一笑

「既

一例

「既

一例あ

の訓

のよ

にな

って

る。

スデニシカモウチ

マカセ

パイ

ジンニ

ユルシ

ヤリ

テフ

ジヲ

クで

ニー悪

(子

)

-人

―許

ニー差

(子

)

-児

―、

(十

4

)

っき

ころ

へ嫁

しま

った

い。

スデニ

ナラ

イツテ

ユメニテウ

ウン

ウト

マタペシ

スツ

ナヲ

ザリノシウ

ゲツシユン

フウヲ

・作

二入

・夢

-雲

-雨

一、也

・撤

二等

-閑

-月

-風

―(五

〇ウ

2

)

のだ

月春

風をか

こつこともやめなければならな

い。

より

文語的である後者

の例はともかく、前者

の例は、やはり実義に

って

「然

」を

「シカ

モ」と訓んでいるが

、そうす

ることによ

って、

の場合は

「既然

」によ

って提示される条件

節の結びが曖昧になり、

前後

の文

の呼応関係が

つかみにくくな

って

いる。こうした弊害を緩

和す

るために、陶山南濤は、宝

暦七年

(一七五七)刊、『忠義水

潜伝

』(第

↓回、四丁表~裏

)にお

いて、

○既然

ヨリ顛倒

シテ何

々スルカラ

ハト読

ベシ既然如此

バカ

クノ如

スルカラ

ハト云

コトカラ

ハト訳シテ能聞

ヘル也

と記

(三さ、「~

スルカ

ハ」と訳せばよい

ことを指摘して

いる。こ

の例によ

って、「既然

」に

ついても、都賀庭鐘

の、条

件節

を導く連詞

として

の文法的機能に対す

る理解不足を認め

ることが

でき

る。庭鐘

の訓訳を何度通読

しても非常に文意を

つか

みにく

い原因

のひと

つに

は、

このような連詞

(接続詞)

の訓

みに不備があ

るため

であ

ろう

○連

「只要」

「只

る。

「~

さえ

れば

「~

」と

いう

、「就

」「便

」と

呼応

。「只

」の

『開

一笑

』に

、そ

のう

、連

一例

る。

タマヱウ

アランコトヲ

チトサイ

カン

スナハチスコシノチガヒ

アラ

セメニ

―一些

-幹

一、便

・在

・何

(二

〇丁

1

)

(裁判官

に)もう少し腕

の立

つも

のが

いさえすれば、

(法律と実態と

の)ち

っとした食

い違

いも、

どう

いう

こと

はなか

ったであろうに。

「タ

ず~

ヱウ

スレバ」と、条件節に訳出

していれば

、日本語として

依然熟

さないが、文法的な理解

の度合は明確

に示されるところであ

一21

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三七}。

「ロハ要

」は

、元

「た

こと

」と

う意

の用

、ま

だ連

って

いな

いと

いう

(三八〕。そ

て、『開

一笑

使

二例

の場

の古

って

。マタ

ヘリ

ハヅ

\ヲ

エウ

ハヒ

ヲキ

二蓋

-

一只

二杁

-急

-行

}、

・拶

-指

-副

}又

二木

-撒

-根

―(十

一オ

5

7

)

キノヲレ

ムサポル

ウルコトヲドウ

ジハタぐモトム

セ〆

ペウヲ

ヨスガラザルモ

ヤスマヲノヅカラペシ

-子

二銭

―鋤

「、

―然

―宵

・欺

ゼニ

・枕

一(五

丁裏

2

4

)

庭鐘

の訓訳は、これら三例

「只要」に対して、

一律に古典訓読

の読

みを適

用して済ませ

ている

(三さ。『開巻

一笑』

の文体は、前に

し触

れた

ように、白話語彙を多

用しな

がらも、全体的にやや文語

的な散文

であ

る。口語表現とし

て使用

される連詞ならば

[国7剛冨o]

と読

「只要」と、後者

のよう

[N9

冨o]と心持ちポーズを

れて読

む文

「只要」と

の間に存在す

ュアンスの違

いを、微妙

にかぎ

分けな

がら読解しなければな

らない。都賀庭鐘

の訓訳は、

した

口語的

表現

のも

つ語感に対

して比較的無神経

であるように思

われ

る。

○副詞

「幾曾

一方、臨機応変な

訓訳を付した

ため

にかえ

って文意

のつながりに

支障をきたした副詞

「幾曾」があ

る。「幾曾」とは、清

・劉漠著

『助

字弁略』巻三

四̂9、

又南唐李後主詞

:「三十余年家国、数千里地山河、幾曾慣

文。」幾曾、

何曾

也。

と記され、『近

代漢語詞

典』

茜二、

【幾曾

何曾、何嘗

。元

・無名氏

《陳州耀米》第三折

・"老漢

活借大年紀、幾曾看見什歴

紫金錘。"《西遊補》第十

四回

・"

老孫

自石厘生来、是個独独光光、完完全全的身子、幾曾有

匹配夫

人?

幾曾有

五個児

子?"

『角

茜一二、

【幾

】きそう―なんぞかつて

これ

でに

った

ろう

てな

った

〔李

・破

「幾

二干曳

と説明され

、今日

ではあまり

問題

にならない表現である。ところが、

古典訓読語

にはこ

のような

「幾」に対

して、「なんぞ」と読む習慣は

いら

しく、都賀

庭鐘は、字義に則

して訓

む場合

は、

-来

・法

-曾

二・人

一・要

二家

-婆

一(十

丁裏

2

)

シム

如来が説法

で、

これまでに奥さんを要

らな

いと教え

ことがあ

っただ

ろうか

とし、意を汲

んで訓訳を施す場合には、「幾曾

(ミキタレ

バ)」と

する。ソ

マタコマカニシ

リヤウスレパ

ダイ

ミン

ワツ

シヤウ

ハツトモハンフンハマタコレキヨ

ケイ

-児

再仔

-

-明

-律

-上

-約

-把

-掛ミセカ

グハ

タ寸ヱウス

アランコトヲ

チトサイ

カン

スナハチスコシノチガヒ

アラ

セメニ

ー画

-図

二些

-幹

一、

便

・在

・何

ケバカリ

ミキタ

レバヌスミ

カウヲヨセ

シルシヲ

ソ・ノカスハヒ

ムスメヲ

・香

、誘

二-引

-家

-女

一、問

ニー落

(子

)韓

-寿

一、

ミキタ

レバノポリ

カキニコへ

ヘイヲ

マヅヲカシテノチニメトルハ

クジサパケ

チヤウ

レ塙

・壁

ニー開

(子

)崔

-張

-被

―窩

一、

一22一

Page 10: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

ッヲ

ベシ

ニー騙

-嬬

一、

二-換

-物

一、

二干

(子

)仮

レ琴

-馬

一、

ッテ

ヲセ

ンシ

コト

レ財

'姦

二人

-命

一、

二干

(子

)

-樹

-下

-胡

一(十

丁裏

8

6

)

この文章

は、不義密通を

犯しても韓寿に処口め

のあ

ったた

めしな

く、

塀を乗り越

え姦

通しても崔張を裁いたためしもな

い、後家をかどわ

して財貨を盗

っても司馬を捕らえたためしなく、女遊

びのために

の命が奪われ

てもそい

つを

罰したためしもな

い、

このように、大

明律上

の罰則規定

は半ば絵

に描

いた餅

のようなも

のだ、と

いう論旨

であ

る。それを、都賀庭鐘

は、「幾曾」を

「ポト

ンドカ

ツテ」と読

のではわかり

にくいと考えて、意

訳した

つもりかも

しれないが、

のよう

に、

ミキ

…カ

ユノ

ヲチ

ミキ

バケ

ミキ

ニキ

ンズ

ルカ

ヲト

シ、

パ…

…サ

ユテ

コヲ

シ、

と読むと、全く正反対

の意味

になり

、本文

の論理展開が見えなくな

る。都賀庭鐘

の訓訳

のわかり

にくさ

は、意

外にも、文脈を追う

のに

も大

切な

、こうした数々

の連詞

(接続詞

)や副詞

の語法

に対す

る、

庭鐘自身

の理解不足によ

るも

のであ

る。

○呉方言語彙

『開巻

一笑』乾巻

(十五丁裏~

二三丁表

)に

「閨怨歌」

という

篇があ

る。作者

「呉山散士」と記され、

その他

の文章に比して極

度に呉方言を多

用する。「閨怨歌」に使

用され

ている方言語彙と

その

る普

のよ

(四三〕。

呉方言語彙

助詞

「子」

助詞

「個(箇)」

副詞

「弗

代詞

「個星」

代詞

「伊」

「渠

そして庭鐘

の訓訳を対照して示

用例数

普通話

三四

「了」「着」

「的」

一八

「不

「唱逼此二」

「他

「地

「宮

「他

「介

「這

」「這

「那

一「急

」「急

文脈に則して

一語

一語厳密に検討す

れば微妙

に語気

のず

れる訓訳も

あろうが、助詞

「子」

の扱

い方を除

いて、全体的

には、

さすがに余

りはずれて

いな

い。しか

し、都賀

庭鐘は、

直前の

「Y繋嘆」に多用

される名詞

語尾

の接尾辞

「児」

ついては

、「釈

義」(十四

丁裏8)

にお

いて、

此字意ナ

シ称呼

ノツケ字

也扇子銀

子ナド云子

ノ字

ノ如

と述

べる。今

の場合も、もしも庭鐘

に方言語彙

に対する正確な知識

があ

れば、

このように原文が意識的

に多

用している呉方言語彙

に対

「干

「カ

ノ」

「コ

ノ」

「ノ」

「カ

レヲ

「カ

モ」

「カ

レ」

「ア

バ」

「ズ

「ザ

ル」

「ザ

ラ」

「ザ

レ」

「ザ

「ジ

「フ」

「カ

ノカ

ノ」

「カ

レガ

「カ

ニ」

「カ

ヲ」

「カ

レガ

」「カ

ニ」

「カ

「コノ

」「カ

「ナ

・ガ

23

Page 11: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

て、

一言

「釈

を加

べき

った

であ

ろう

これ

の語

のな

、「子

」は

、普

ペク

「了

「着

に相

でも

。しか

、単

に字

るか

って

、「子

」に

ると

、少

も本

の原

の語

は大

く離

した

テク

スト

いて

「子

「子

のま

まだ

った

であ

ろう

の和

にお

一カ

―鉄

-木

-匠

-子

-裡

二子

―妻

マサニコレクギヲウチ

キタルキノ

ナカヘ

ナカフドヲヨヒ

ナス

シツ

ハッ

カト

ニー来

-裡

一、

下-以媒

-人

ニー倣

上執

-斧伐

-何

エキ

(十

丁表

7

1

)

いうように

、改訂漏

れのあ

ることからも窺え

る(四四}。今回校合に使

した

テク

ストは、京都

大学文学部蔵

『山中

一夕

話』

であるが、

のテク

ストに収ま

「閨怨

歌」本文は、す

べて

「子」に刻されて

る。都賀庭鐘

は、方

言語彙

に対する理解不

足か

ら、このように原テ

ストを改竃す

ることもあるようである。

○そ

の他

の他、個別

の語彙に

ついて、都賀

庭鐘

の訓訳

ではやや

不十

分と

思われ

る白話語彙を

列挙す

ると次

のようにな

茜乙。

白話語彙

(普通話

)「庭鐘

による訓訳」

這壁廟

(這辺、這里

)「コチラ

ノカ

ベキ

ワニ」(十

一丁表7)

「コ

ヘキ

」(五

4

)

(那

)

「ア

ノカ

ベキ

ニ」

(十

一丁

8

)

「カ

ヘキ

(五

5

)

(将

)「マサ

ニイ

へ」

(十

一丁

4

)

(当真

、真個

)「セ

(ナ

ニモナ

キト

)」

(四

丁裏

6

)

(多

)

「タ

イジ

(ジ

ッイ

)」

(四八丁裏

6)

猛可里

(忽然間

)「モウカリ」

(四九丁表

3)

大都来

(不

過、只不

過)「タイトラ

(スベテノ)」(四九丁裏5)

多管是

(多半

)「タク

ハンコレ

(ヲ

・ク

ハ)」(四九丁裏5

)

不敢不敢

(不敢

不敢

)「ア

ヘテセ

スア

ヘテセス」(五六丁裏2)

これらの語彙

はいずれも

『水潜伝』お

よび

『西廟記』に用例があ

る。都賀庭鐘

はそれらを

一読し

ているはず

であるが、それ

ぞれ

の語

ついて十

分精

通するまでには読

み込ん

いな

ったらし

い。『水

浄伝

』に用例

の挙が

「壁

廟」「将息

」「猛可」「多管

」に

ついては、

宝暦

七年

(一七五七)刊、陶山南濤著

『忠義

水浄伝解』、天明四年

(一

八四)刊、鳥

山石丈著

『忠義水濤伝抄

訳』に言及があり、『西廟記』

に用例の挙がる

「赤緊的」「倒来

」「大都来」に

ついては、遠山荷塘

『諺

解校注古本

西廟記』(写本

)に訓訳が備

わるが、詳述

しな

西さ。「不敢不敢」は、現代語

でも、も

てな

しを受け

たとき

、ほめら

れたときな

どに用

いる常

套語で、「不敢

当」の省略形、「恐

れ入

りま

」「お

言葉に見合うほど

の者

ではあり

ません」

の意味

であ

る。「ア

ヘテセスア

ヘテセ

ス」とはほど遠

い。

た、庭鐘

には、語法的な理解不足

とは思えな

いが、解釈

の誤り

によ

ってあ

えて間違

った訓訳を添え

たと思

われるも

のがあ

る。坤巻

(五

二丁表

)に収録される

「開男色暁諭

」の

】篇である。文字を

24一

Page 12: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

のま

に読

よう

に、こ

の篇

、「男

る御

」で

。次

「禁

風告

」と

って

。庭

、「開

「ナ

フウ

ユ」

「ナ

・セ

と左

ころ

いか

男色

るか

を語

冒頭

の訓

し始

-陽

-義

二男

-女

-之

-倫

一、

ここは、直前部

分にお

いて、過去

の美少年

、彌

・董賢によ

って

し出され

「翰

苑清

風」「理林別趣」を鑑みると、「どう

して男色

が陰陽

の義理に惇るであろうか、男色は男女

の倫理を冒漬す

るもの

ではな

い」とい

い、美少年

の霊妙な魅力に

ついて説く後続文

に連結

るものである。庭鐘

の訓読では、「それらは陰陽

の義

理を

犯すも

の、

男女

の漬倫と

いうも

のではな

いか」と

いう正反対

の解釈を導

てしまう

。庭鐘が語学力ではなく、膨大な知識と強引な力業に

て白

話文

を読破してきたと

いう、彼

のこれま

での読書方法

の片鱗

垣間見ら

れるような気

がする。都賀

庭鐘

の訓訳方法には、語学者

はな

く小説

家としての性質が窺われるとい

ってもよ

いであ

ろう。

都賀庭鐘

の訓訳

は、特

「釈

義」に見られる個別事例に関わ

る典

の指摘に

ついては、非常

に優れた的確な

のであ

る。

しか

し、

くよく注意をしなければ、時

として

「原文

」の意

味から離れ

て、

んでもな

い解釈

へと導か

れる危険性

がある。今回

の調査

で明らかに

った

こと

は、

そうした解釈の誤りは、ひと

つには、文

と文とを

なぐ連詞

(接

続詞)や副詞

の用法

に対

する理解不足に起因し

ていた、

そし

て、都賀庭鐘

の白

話理解

に対す

る姿勢

は、原文を語法的

に正確

に解釈す

るという

よりも、いわ

ゆる

「推

量白

話」によ

って適当に読

み流す

ものであ

った、ということであ

ろう。天下随

一の白話小説通

として知

られる都賀庭鐘

であるが、白

話語彙

のも

つ微妙な語

感に対

る理解という点においては、同時代人の陶山南濤

、そして少し後

にな

る大典

禅師な

どと比

べれば、やはり大きな隔たりがあると言

わざ

るを得ない。

って

『開

一笑

』は

、宝

(一七

)、

って

の白

て知

る都

って、

の形

でに

い特

で、

て、

の訳

の形

で右

いう

であ

った

の片

れば

でき

るよ

した

であ

る。

頭識

いう

、「若

ニトキハ語

-出

テ快

-利

一ナルヵ、則

-理不

・ルモ属

セ、亦

二可

レ聞

こ、

の厳

つか

ても

いら

る、

いう

であ

る。

これ

「今

-篇

ヤ訳

,也

、連

-綿

トシテ無

・有

二。ト間

-断

―、

ー覧

.君

-子

三其

二。吃

-際

一、幸

二寛

ニセ.歯-葬

―ヲ」、連

綿

て途

この

てそ

っか

い読

み違

つい

ては

いう

しか

の横

に全

訳を

いう

みは

いれ

の構

を把

しな

文意

こと

ので

であ

った

ころが、『開

一笑

』の訓訳本には音韻に関す

る注記が

見られな

25

Page 13: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

いと

いうもう

ひと

つの特徴

から窺

えるように、都賀庭鐘

の白話理解

には、原文を中国近世語と

して通読する方法はとらなか

ったよう

ある。罵辞

「鳥」が

「尿

」と通じると

った誤解に対し

て正解を

せなか

った

ことなどが

その証拠

である。そ

のため、介詞

「与」に

いては正しく読み分ける

こと

のでき

た庭鐘でも、連詞

「既然」「只要」

のも

つ語感を十分にとらえき

ることはできず、「幾曾」に至

っては意

訳したためにかえ

って全く

正反対

の解

釈を導

いてしま

った。また、

見慣

れぬ呉方言語彙

に対

してば、無断でテク

ストを改窟す

るな

ど、

かなり強

引な読み方をし

ている。その他

、厳

密に細か

い語彙

の解釈

ついて検討

を加え

ると、例えば

「赤緊地

(ナ

ニモナキト

コロ)」「到

大来

(ジセツイタリ

テ)」のよう

に、完全に

でたらめな左

訓を施

いる例も見られる。

庭鐘

の訳文

を通読

して誰

しも感

じることは、それ

ぞれ

の文章が

篇全体

として何を言

っているのか

、前後

の脈絡が

つかみにく

いと

ことであ

ろう。

その原因

のひと

つには、都賀庭鐘自身

の連詞

(接

続詞

)や文

修飾に関わ

る副詞

に対

する理解不足にあ

る。

そう

した連

詞や副詞を

正確に理解す

ること

は、文

章の論旨をたどる上

で極め

重要

であり、連詞

を誤読す

ると、

たとえ

言葉

がすらすらと流れ

てい

ても、聞

いてはいられな

いものである。中村

幸彦氏はか

つて、白

文に対する都賀庭

「訳は大変

正確

であ

ると専門家から評価さ

ておりますか

ら、正確に白話が読

めた人物

である

こともわかり

ます

と述

べてお

られるが

茜三、『開巻

一笑

』に関しては、それ

ほど正確

はな

いよう

であ

る。少なくとも、

同時代

人の陶山南濤ほどには読め

ていな

いことが確

できた

であ

ろう。

これまで都賀庭

の白話文に対す

る訓訳方

法に

ついて報告された

論稿を知らな

い。今回

『開巻

一笑』にも

とつ

いて、

庭鐘の訳文を語

法的

に検討し

てみた。精密な調査報告は後稿

に期

したいと思

う。

〈注

(こ

石崎又造

『近世日本に於ける支那俗語文学史

』(東京、弘文堂書房、

一九四

○年

)

一二頁。

村幸

「都

伝孜

(初

『國

國文

二十

二巻

四号

一九

年、

『近

作家

』所

}書

一九

}年

、『中村

著述

一巻増

、中

論社

―九

三二

六頁

)

(二)『日本古典文学大辞典』「開巻

一笑

」、志村良治氏解説

(東京、岩波書店、

一九八三年)による。拙稿

において、原明代刊本

『開巻

一笑』は未見、テク

トの校合は、京都大学文学部蔵、笑笑先生増訂

・吟姶道士較閲

『山中

一夕話』

(外題

には手書きで

『開巻

}笑』と記されている)刊年未詳による。但し、都

賀庭鐘の訓訳本

『開巻

一笑』には、笑笑先生が後

『山中

一夕話』と改題して

増訂した旨を記す巻頭識語を付載する故、庭鐘が目にしたテクストはこの増訂

本の方と思われる。なお、増訂本上集の柱には、「開巻

一笑」の文字が刻され

ている。

(三)京都大学文学部蔵

『山中

一夕話

』、第

一冊目録

二丁表に

「巻之三

計十七

條」とあるのは誤刻である。

(四)石崎又造前掲書

、『日本古典文学大辞典』「開巻

一笑

」、中村幸彦解説等。

また、以下に記す巻頭識語参照。

(五

)和

『開

一笑

は、

頭識

、序

に続

て、

一笑

二目

催内経

指自旗経

化妬経

Y製賦

26一

Page 14: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

γ髪嘆

娼妓述

金陵六院市駈㎎

妓家祝献文

官妓入道募縁疏

男風告示

賭博賦

閨怨歌

娼妓賦

風月機関

火娼論

開男風曉諭

帯間賦

開巻

一笑巻之

二目録終

る。

r六

)原

以下

通り

。京

大学

図書

館蔵

、『開

―笑

』(宝

(一七

)

)

・巻

7

.李

-卓

・吾

レ輯

-赤

―水

二参

―,、

・人

・補

.ア

二山

-中

一・夕

-話

―ト、上

-集

-集

二七

-巻

―、上

-集

ラ集

二詞

-賦

-伝

-記

一,、

-集

二笑

-言

-昧

ヲ、

.為

一三童

i学

一ノ句

..ア而

レリ解

ヲ、

・モ益

二資

-惟

-靴

・痒

レシ..笑

レ笑

三ンヤ以

ニス.傍

・人

ノ之

―ヲ、

二.ア鹿

-鳴

・人

―レスル― 訳

ヲ、

―河

―水

-稽

ノ面

-目

.ア―備

ソ択

ニンヤ其

・俗

」ヲ哉

―騨

レテ乞

一三諸

・人

二、

一就

-中

一-巻

―ヲ授

トキハ

ー知

・ナルヲ恐

レル、力有

二..トヲ繁

-多

―厭

一也

―夫

ノ談

-説

.ル―者

モ―

・句

-環

.レ.、

.ア害

ニァリ清

-言5

..、

ニトキハ語

―出

..快

-利

」ナルカ、

-理

モ属

セ、

二可

・聞

一、

-篇

・ルヤ訳

ヲ也

-綿

トシ,ア無

レ有

二.ト問

。断

」、

―覧

.君

・子

「二其

;,吃

-畷

一、

二寛

ニセ.歯

-葬

―.、

鹿

―鳴

―人

=..方

.

――.隠

・張

ヲ称

・スル姓

ヲ者

ハ、

・スル李

.―仮

―言

ノミ爾

-暦

・年

乙-亥

―春

・華

-民巣

・庵

-人

―識

.

は、

・送

仮名

・連字

を付

。読

は板

いが

、今

大本書き込みにょ

った。

(七)和刻本

『開巻

一笑』巻頭識語

-人

-補

.ア日

二山

・中

――夕

-話

―ト、

-集

-集

二七

-巻

―、

-集

・詞

・賦

-伝

-記

一ヲ、

-集

二笑

-言

-昧

一ヲ

による。なお、京都大学附属図書館蔵

『開巻

一笑』(宝暦五年(一七五五)刊)坤

巻扉裏には、

笑話出思録

鶏窓解願

笑府

刑笑府

という書き込みがある。『笑話出思録』(宝暦五年

(}七五五)京都刊)だけ

は日本人による漠文著作であるが、『鶏窓解願』(宝暦

二年

(一七五二)大坂

刊)、『笑府』(明和五年

(一七六八)京都刊、同年江戸刊

の二種あり)、『剛笑

府』(明和六年

(}七六九)序)は、

いずれもこの時期相次

いで出板された中

国笑話

の訓訳本

の書名

である。落し話ではな

いにせよ、『開巻

一笑』が漢文笑

話として扱われていたことを示す証拠であろう。

(八)『笑府』十三巻を編纂した凋夢龍

(一五七四~

一六四六)は、李卓吾評

『水

浄伝』

の校訂作業に携わり、李卓吾の心酔者であ

ったとされる。大木康

『明末

の知識人

漏夢龍と蘇州文化』(東京、講談社、

一九九五年)

一四六~

―四八

頁参照。

(九

)魏同賢主編

『凋夢龍全集』第四十

一巻

「笑府」(上海古籍出版社、

【九九三

年)一八四頁。翻訳は、松枝茂夫

『全訳笑府(上)』(岩波文庫、

一九八三年)

二二三頁による。

(一〇)原文は京都大学文学部蔵

『山中

一夕話』、翻訳は拙訳による。和刻本

『開

一笑』乾巻

(十

一丁表3~5

)。都賀庭鐘

の訓訳は以下の通り。

一27一

Page 15: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

イカンセンウン

マサニ

アフテ

ヲトロキ

ヲコシ

フンタルテン

ソンヲ

カウ

カンスバチアタリ

-何

-雨

二ー

―了

-上

-

-

-殺

ワメク

-八

・裡

-罵

-碑

レ生

ノ・シル

(一

一)『山

】夕

』最

二句

、「奈何

」「驚

で対句

。「了」

語気

で、

く発

され

ので

あろ

う。

(「二)明

五年

(一七

)刊

『三

都学

評林

上古

六蔵

因團

小説家の学者そふな圃國左様でこさります

あれこれ小説集が板にごさります

作ハ御巧者― 見

へます

と見える。中野三敏編

『江戸名物評判記集成』(東京、岩波書店、

一九八七

年)七九頁による。

(=二)例えば、大木康

『明末

のはぐれ知識人

凋夢龍と蘇州文化』(=二二~

三三頁)に以下のように説明される。

中国の言語には、文言、白話、方言の三

つのレベルがある。

このうち前二

者が文字に表記される書面語で、方言は原則とし

て口頭語である。中国人と

して生まれたら、まずはじめに習得する―言語は、生まれ落ちた土地の方言で

ある。蘇州の人なら蘇州語、広東

の人なら広東語と

いったぐあいで、それぞ

れの方言の間には、お互

いに会話が成り立たないほどのちがいがある。

これでは広

い中国でコミ

ュニケーションが成立しない。そこで、文―言すな

わち文語が必要になる。

一つ一つの文字の発音は土地によ

ってさまざまであ

っても、文字は同じ意味で使われているから、視覚的に文章の意味が通じる

のである。

だが、中国人どうしでいつでもど

こでも筆談というわけにもいかない。い

きお

い、共通の話

し言葉が必要になってくる。それがとくに必要なのは、地

方に赴任しなければならな

い役人である。そこで、官話が形成され

てくる。

官話は日本における標準語と思えばよいが、日本の標準語が東京方言を基礎

に作られたように、官話は首都

のおかれ

ていた北方の方言を基礎にしている。

この官話を文字に書き表したものが、ほぼ白話にあたる。白話は文言に比

べればはるかに俗なる言語

であるが、ほんとうの方言

(たとえば漏夢龍の『山

歌』

の蘇州語)などは、それよりまたはるかに俗と

いうことになる。白話は

文言と方言

の中間に位置づけられよう。

(―四)和刻本

『開巻

「笑』乾巻

「閏怨歌」(十五丁裏~二三丁表)。詳細は、本

稿第四章

「個別語彙

の検討」参照。

(一五)石崎又造

『近世日本に於ける支那俗語文学史』(東京、弘文堂書房、

一九

四〇年)四

一四頁以下に

「近世俗語俗文学書目年表」がある。この中で、本書

に類した形式をも

つも

のは、同じく都賀庭鐘

による

『四鳴蝉』

一冊

(明和八年

(一七七

一)刊)だけであろう。しかし、『四鳴蝉』は、謡曲

・浄瑠璃を元曲

風に庭鐘が翻訳したも

のであり、右傍に付された総ルビはもとの和文そのまま

である。

(一六)和刻本

『笑府』に

ついては、拙稿

「『笑府』三種比較孜

(上

・下ご

(『國

語國文』第

六八巻第

一号第

二号、

一九九九年

)参照。

(

一七

)和

『開

一笑

「及

二.ア鹿

-鳴

-人

一・ス生

.」

「今

―篇

レルヤ訳

.也

-綿

トシ.7無

・有

二。ト間

・断

タマギラスヒトヲ

カホイロヨロコパシク

(―八

)例

えば

、「嚇

(一丁表

8

)、「和

-顔

-

(一丁表

8

)等

(一九

)例

えば

訓読

では

ュアン

のか

りず

る言

い回

しに

程度

を用

ウテ

ヱテワレヲヒトツノシヌルメイキルメ

セイ

リナキ

クラスイチ

ニチヲ

た表

があ

。「打

ニー得

一-個七

-死

八-活

―、

-整

-裡

ニー了

一-日

―」

(十

丁表

1)。「死ぬ

私を

のめ

るま

一日

泣き

の意。

原文

、私

一人

ぶち

めす

ぶち

のめ

が、

るか

ぬか

うく

い、

てま

まる

一日泣

ぷ、

いう

であ

った、

う構

にな

いる

。程

の訓

は、

訓読

語と

ても

「言

い得

て妙

」な

どと

いう

一28一

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言い方で、必ずしも馴染みがな

いわけではないが、やはり誤解

を招きやすい訓

読文の

一例であろう。

(二〇

)中村幸彦

「都賀庭鐘

の中国趣味」(初出

『泊園』第十七号、

―九七八年

)。

『中村幸彦著述集』第十

一巻

(東京、中央公論社、

一九八二年)三四二頁。

(二

一)尾形仇解説

『岡白駒沢田

一斎施訓

小説三言』(東京、ゆまに書房、

一九

七六年)二⊥ハ○頁。

(二二)ただし、『唐話便用』は語学教材として編まれた著作であり

、『開巻

一笑』

とは出板意図が異なる。『唐話便用』は、『唐話辞書類集』第七集

(東京、汲

古書院、

一九七二年)所収、長澤規矩也氏解説参照。なお、『開巻

一笑』乾巻

ヲチヱル

(十五

7)

、「落

・之

ノ唐

便

ニサ

イト

セリ

と引

。本

は、

題簸

「唐

話便

」、

内題

・柱

「唐

語便

とあ

(二三)尾形仇解説

『岡白駒沢田

一斎施訓

小説三言』(東京、ゆまに書房、

一九

七六年)四六五頁。

(二四)京都大学附属図書館蔵。また、『中村幸彦著述集』第七巻

〔東京、中央公

論社、

一九八四年)に影印が備わる。

(二五)『近世文学未刊本叢書

狂詩狂文篇』(奈良、養徳社、

一九四九年)に影

印が備わる。

(二六

)『忠

伝解

引用

、『唐

類集

』第

(東

、汲

一九

〇年

)

二二

・三

五頁

る。ま

、高島

『水

伝と

人』

(東京

修館

、十

―年

)

三~

四頁

田武

「山

の白

話知

つい

て」

(『山東

伝全

』第

五巻

(東京

ぺり

かん

一九

四年

)

月報

)

参照

(二七

)拙稿

「『笑

三種

比較

(下

)」

(『國

文』

八巻

二号

一九

年)

照。

た、

η

""

"

の未

」(『人

研究

b。O巻

一九

六八

。『白話

の研

(東京

生館

一九

八三

)所

三〇

~三三五頁)にょれば、介詞

「与」は、現代語

「給」「眼」「同」「和」などに

分化する以前に、単に対象を設定するものとして、それらの機能を包括的に兼

ね備えていたとされる。

(二八)松枝茂夫

『全訳笑府

(上

(岩波文庫、

一九八三年)十三頁による。

(二九

)「与」全用例は次の通り。(

)で示したのは、『山中

一夕話』の本文で

る。

○与

・君

一-タ

ノ話

。勝

レ読

=一一十

年ノ書

一ヲ。

(序

一丁表

1

)

○細

ニー思

二世

-間

三。与

レ之

・言危

-論

ス.ハ。則聴

―者

蓼・々

。(序

二丁表

1~

3

)

○与

・之

・浪

・譜

スレハ。

-声

満レ座

― 。

(序

二丁

2

~3

)

○書

ト与

レ話

是-一是

-二。

・易

・為

・両

ト。

(序

丁表

1

~2

)

サツ

シトト

キノ

ヲレ

タずマサニコレジヤウ

ケイ

-指

二木

-櫃

―、

-刑

(

一丁

5

6

)

ツネノシヲキ

ニハ

トリヲク

くトナクトキ

アパテ・ハヒ

ヲコシミヲ

メン

タウトト

チヤ

テン

シキ

トモニト、ノへ

-鶏

・哩

-忙

ニー起

一、

-

二茶

・点

一、

-色

調

-停

(一丁

8

1

)

アリ

ヒトシナ

ノヲト

ムサポリ

バクヲ

アパレ

サケナク

ハカリ

タヲレテゴトク

メウ

ダンノ

O

;

・子

一、

ニー禁

-

一、

-酒

二猫

-

一、

バクチ

ネムリテニタリ

クニ

トモニセ

クハン

クハイヲ

ユヘニイクス

ゴトキヲ

カクノ

二死

-狗

―、

-

一、

(四

3

4

)

ラウ

コタ

ヘテ

イフ

ケウ

サイマタヘシ

ナゲク

カクル・コトヲシヤウ

カニ

ヨビ

クハンヲ

-子

-日

-才

・嵯

、躾

二・在

・薇

・架

一、

―一Y

-

―、

・我

ニー過

・家

(十

一丁裏

4

~6

)

トガニン

ヲ・ク

アタユレハカレニ

スコシデモ

ラウ

マタシカリ

ワレヲコレザル

シラ

セタイヲ

スタ

リモノ

=-

・子

レ我

レ知

二家

・火

一的臭

-肉

(十

オイエサマ

8

1

)

スコシ

アタユレハカレニ

スコシデモ

コノミナノ

モノイカラシ

メヲ

チガヘテ

ツラヲ

二・

・人

ニー着

ニー着

一(十

1

)

ウタヒ

ヒト

ツノサ

ナン

ジヲ

シウ

キパラシイツ

クハイス

ウタフ

一ニ

ー隻

-南

-枝

-児

一、

二衆

-姐

-姐

―散

-悶

-

(十

7

ハウバイドシ

一29

Page 17: Title 『開巻一笑』小考 Issue Date URL ......『開巻一笑』小考 川陽上介 、構成 『開巻一笑』は、明末の思想家李(一五賛 二七〜一六〇二)によ

8

)

二-罷

-児

―、与

二衆

-姐

-姐

―説

-道

(十

丁裏

2

)

コラヘズハ

スギラレ

ソカ

ドウ

ジノ

ヌスムコト

ヒト

ヌスミセハ

・地

・裡

二道

-人

一-

(十

6

)

テラヲトコ

ソウ

サクスルコノセウ

ソヲ

アハセ

サツ

ロウスルコノ

カニ

クハ

ラウヲヲクリ

アタヘセン

-

-姐

――-来

-

-寄

}、

・花

・・

穿

-

ハナツクワ

タマ

-

―(十

8

1

)

ツナギ

ステ

ヲキナン

カイ

ダン

シヤウニ

ヲクリ

アタヘンニツ

ホンコク

リノ

ドニ

(去

)

――・来

・海

・灘

-

―、

―二

-本

・裡

-奴

―(十

2

3

)

タン

フヤシナヒ

ジヨヲ

シチ

ハツ

サイヨキ

ネニウーー

アタフシヨウ

カへ

-夫

-八

-歳

-価

二-

-家

―(二

4

5

)

スナハチ

イフ

ケイカン

ナン

メウノアフ

セイ

ジツニ

コノ

イヤウノ

ヨカラ

キミトキ

便

-云

・計

-難

=生

―、

-

-情

二与

・侮

力・

タンジヤウ

(二

7

8

)

マタアリ

ヒトムレノフン

トウ

ジヨ

トウくトシテトヒテイフ

ナニガシノ

ヒトタメニ

ソノ

ナス

フクヲ

;「

・頭

一、

-明

-人

二姐

・姐

―倣

;衣

・服

ワチヤクチヤ

(二

6

7

)

ナニガシノ

ヒトタメニ

ソノ

タス

シユ

シヨクヲ

-人

――姐

・姐

・打

・首

―(二四

7)

カミノドウク

カタルニズ

ツキロク

インノフウ

ケイ

サラニアリ

イチ

バンノギ

ロント

ンウザル

ヲナジカラ

モシサレハ

レ尽

-

-景

'二

-番

-論

・衆

―・

-細

―、

・得

・二

-

―(三

丁裏

2

3

)

-

――房

-裏

・去

―、

ト音

―近

(三

二丁

表5

6

)

ヘヤエユカフ

ククラブト

ハウ

ヱンヲ

モトムル

ハウ

センヲ

コエ

ジツニアヒ

ヲナジ

二方

-

}与

二房

―、

(三

6

)

ガフアリ

ウレフレハ

ヲナジク

イタミテ

ワラヘハ

ヲナジク

ヨロコブ

モトムルコトナシ

アキ

スコシキ

-合

レ期

-

-

レ厭

トキハ

ァタヘテヲ・キトキハ

サカフ

(許

)

(三

6

7

)

マユトト

メイヘトモ

コレアヒ

ヨヅト

クチト

コ、ロケツ

ゼンズ

ヲウゼ

・目

=是

,抜

―、

-然

(三

5

6

)

チウ

セキスコシクツウズレバ

イツ

セウヲ

ハク

メン

ラウアラソフテアタヘ

テン

トウヲ

ジヨ

コントンニサトリ

・昔

―二

-笑

一白

-面

-郎

二纏

-頭

―、

-今

ヨキヲトコ

サン

シヤウヲ

セイ

ガンノ

カクスナハチベシ

アグ

テヲ

―青

-

-客

便

レ撞

レ手

(五

8

2

)

キノアフタヒト

ワヅカニアタ

ヘテ

ジフノヒ

センヲ

ヤメヨ

イフコトヲ

デフ

コト

スナハチハウストモ

イチ

ネンノ

二数

-

-

―、

二定

-価

一、

便

一ニ

サダメノァタイ

・服

―、

二弘

(五

5

6

)

クハブンノコト

※与

・衆

-知

;暁

・諭

―(五

三丁

5

~6

)

ツゲシラス

ヲ・セツケラレ

マカセ

ハウ

ジンノシナサダメニ

イツハリテタクシ

コウヲ

ドウ

ハイ

アラソヒ

ヒカリヲツクシ

ソノ

二傍

-

-

―、

――痴

―、

二同

・輩

二其

-把

(五

6

7

)

キウ

ジヤウヲ

ヨシテトウ

セイノ

ナミニ

シン

シキヶ

ウタフヲ

セイ

コウノ

ツキヲ

-

―三

-波

―、

-詞

二西

・江

(五

5

6

)

アレトモ

シカモタレト

トモニヒツ

ハイセン

ナケレトモ

シカモタレカムスバン

イン

レ子

―与

-

・妻

二姻

-燵

―(六

二丁表

2~

3

)

(三

)塩見

『唐

口語

の研究

』(福

中国

店、

一九

五年

)

によ

(==

)原文

、京

附属

図書

、天明

二年

(一七

)刊

、文

一年

(―

=

二)再

によ

る。

し文

、日

夫校

『唐

国字

1

(東

、平

、東

洋文

一九

二年

)

一四頁

、『唐

国字

2

―八頁

二六

六頁

、『唐

国字

3

二四

一頁に

る。

(三

)『漢

典叢

』第

一巻

(東

、汲

古書

一九七

)三

による

(三

)原文

訓訳

訳は

の通

ザル

ヲカサ

コレヲトキナヲヲノヅカラヨシ

コレヲ

トキクマギラスヒトヲ

・犯

―時

ニー殺

(

一丁

7

8

)

の意

かな

いよう

いれ

、ま

お大

であ

が、

これ

に背

のな

、度

抜か

る。

キンノニク

キンノウヲ

ニテナレハ

ハン

セイハン

ジユク

モチピ

サジヲ

モチヒ

ハシヲ

-

、数

-

二半

-生

-

一、

二ヘルヤニヘズ

フクツノテニヒキキタリオ・キニ

カタメテナゲコミ

メヲミハツテマモリ

カレヲワレバカリクラフ

-

・巴

・他

-自

(二丁裏

2

4)

の肉

や魚

、ま

るか

えな

いか

いう

生半

の状

、箸

一30一

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使

ォー

クも

たず

ろ手

っか

いや

つを引

つか

じー

っと

ひと

で食

ぺる。

モシハクシテジユシテイタリ

ヒヤク

センゴ

サイ

ノチニ

ソロくキツト

サトラハ

イヘドモ

O

-千

・歳

(蔵

)

一、

・自

アリト

ボウ

レイ

ペシ

ゲンズ

ナカバヲ

―一暴

-戻

一、

一ニ

ー半

―(六

2

3

)

アラケナヒ

(こ

のお経

)何

千年

え続

れば

、遅

せな

がら

っと気

て、

の横暴

いく

んか

減ず

るで

あろ

う。

サイハヒニヨロコブイン

ヱンマサニ

アフ

ラウ

カウスイ

シチン

くタリ

イマダ

アヘテヌキ

ミヲヅイニヲキ

-縁

・合

-行

・思

-沈

二敢

・身

―、

ヘシ

カツミヅカラシノピ

イキヲノム

コヱヲ

レ気

レ声

(十丁

4

~5

)

運よく、男女の縁は繋が

っていた、妻はこんこんと眠

っている、

まだ身体を布団から抜き出すことはできないが、しばしぐぐ

っと息を呑む。

ザランヤ

ガイ

ジノモトムルニ

ハンヲ

マタニタリ

ハク

ガナデルニ

コトヲ

ユルヤカ

ニシテカメノ如

・像

二再

-児

―レ

二伯

-牙

―・

-

コツジキ

キン

カヘリミジヤノ妬

ミカヘル

-

(十

一丁

1

2

)

を貧

よう

では

、伯

牙が

を撫

でさす

よう

、静

っく

り振

ロウ

カゥカツヲノツカラトでメ

イカリヲ

キヶ

ウタフヲ

ギヨク

イヨウイッ

セキヲ

O

-行

二玉

-芙

-蓉

一-隻

―(十

}丁裏

1

2

)

しば

く怒

を静

一隻

「玉

蓉」

を聴

いて

くれ

フウ

リゥ

ラウ

ヤウ

テウ

ケウカ

コレカノ

セン

シユク

くトシデ

セイ

シユンネン

・流

・浪

-子

-爽

-矯

・要

二是

-閃

-

-春

ミヘツカクレツ

チ寸マリテ

セゥ

マゲテミヅカラムナシクスルコトヲ

サイハイヲ

―・

(二

〇丁

6

~7

)

レイ

のど

ら息

、窃

る美

たち

のよ

うに

らふ

せぬ

い。

い青春

の日

々を

むざ

ざ無

せぬ

い。

(三四)『中

日辞典』(東京、小学館、

一九九

二年)六四八頁による。

(三五)太田辰夫

『中国語歴史文法』(東京、江南書院、

「九五八年)三三四頁。

(三六)『唐話辞書類集』第三集、九頁による。

(三七)陶山南濤著

『忠義水浄伝紗訳』(写本)十七回

(『唐話辞書類集』第三集、

一六頁

)

には

、「只

二常情

皿便

―了

モノ通

ニシ

テヲカ

ヨ」と

(三

)太田

辰夫

『中

語歴

』(東京

、江

南書

一九五

)三

四〇

次のように記される。

《只要》

がんら

〈ただ……することを要する〉意。唐代の用例ではまだ連詞とはな

っていな

い。

只要明是非、何曾虞禍福

(白居易詩)

(ただ是非を明かにせんとして、禍福をおもんぱか

ったことがない)

連詞として用いられた例は時代が降る。すなわち、

只要借得秦兵呵、(唱)悪時節呉兵自還、楚城無患、(楚昭公1)

(秦兵が借りられさえしたら、(唱う)その時は呉兵はお

のつから還り

楚城は患なし)

《只要》は古い白話では

《但》ということが多

い。また複合語を

つくり、

《但使》《但凡》《但須》などと用いるが、現代ではほとんど用いられなく

った。

連詞としての例文に挙が

っている

『楚昭公』とは、明代刊本

『元曲選』に収ま

る元代の戯曲である。

(三九

)「要」の訓訳とし

て示され

ている二種類の読

「ヱウ

ス」「モトム」は、

文言と白話による使い分けではなく、

いずれも

『孟子』などに見られる文言に

対する古典的

な訓である。

(四〇)劉棋

『助字弁略』(京都、中文出版社、

一九八三年)

=二六頁による。こ

こに引用されている李爆

「破陣子」詞は、『中国詩人選集乙

李燈』(東京、

岩波書店、

一九五九年)七〇頁に村上哲見氏による注釈が備わる。村上氏は、

一31一

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「幾

「な

つて

」と

訓読

し、

「これ

でに

った

うか

てな

った

。」と

釈を

一)高文達主編

『近代漢語詞典』(北京、知識出版社、

一九九二年)三四四頁。

〔四

二)『角川大字源』(東京、角

川書店、

}九九二年)五七

〇頁。

〔四三)それぞれの語彙に対する意味を、『簡明呉方言詞典』(上海、上海辞書出

版社

一九

六年

)

って示

O

[旦

、]

":耐

搭我

一淘

~末

尽管

去借

擾耐

1・(《女優

現形記》第ユ章)

―吃~僚個肉

;還~個殻!

(《呉歌甲集》)

―請耐進去搭

哩説

一声、要是明朝嚥不下文、動怪侃、馬路浪磁着~、侃要擾勿好看撮哩看。

(《文明小史》第㎝㎝回)(N一頁)

○仔

[げ。。一軍]

。①

相当

了"・・陶大

、耐

好傘

蘭芽

去罷

(《官場

形記

8

)

―現

在依

一説

、殺

一個

只辮

一個移

、未

式軽

!

(評

《顧鼎

・花

》)②

干"

"-我

~伊

、我

芙末

弗出

末笑

、様

倒象

歯痛

(《雑

終、

》)

謂也

作"

"。(∈。N頁

)

○個

冥%.]

②助詞。相当干普通話的"的

":格格人朝仔侃痴形怪状~倣倫

介?

(《二十年目賭之怪現状》第…回)

一好~、我搭耐

一淘去。(《海上花

列伝》第鵠回)

―李大媛、我是要吃喜酒~。(越劇

《三播渡》)(一㎝頁)

○個星

[す9.

励ど.、]

代詞。這些

・・僚看妊臣府堵門里~紗帽紅抱、出出進

進忙得象臭蠣蟻

一様、勿知拉倣点噌正経?

(昆曲

《刺梁翼》)(旨頁)

も.]

:}個

~招

連吃

生都

。(《何

典》

3

回)

―我

朋友

!

朝儂

~先

?

(《雑

哺終、集

》)

《新

昌県

》・"

謂不

。"

(c障の頁

)

O

.、u

勃㌧ω]

。①

;始

:~

在農

没有

過"

呼碑

"

"

傅粉

"的

(《葉

・一生

》)②

:現

在物

事貴

西

、去

買~

?

(《雑

唖略

》)〔注意

《現代

語的

》根

拠第

三人

称実

読音

口、げ

[

゜―ω

]、分

作"

"和

"。

《崇

県志

》・"

日伊

。"

(q.む頁

)

[晋暁、]

代詞

・・~

似新

餓無

。(漏

余山

》)

《新

・釈

》・"今

皆謂

日渠

。"《宝山

》・"俗

日渠

。"

(NO一頁

)

〔一〕

[冨

.ゴ

代詞

這麿

;這様

:祢

的脾

~代

勿好

(越

《双

》)

一記

(性

)聯

~勿

。(独脚

《調査

》)

(ω㎝頁

)

○那呼

[口旺り冨凱り]

同、那亨":哩篤両年来不知日脚~過。(評弾

《戦火中

的青春》)(=O頁)

那亨

[轟

―、

7㊤⇔.、]

。急

麿

;怒

麿

:阿

方想

~還

勿沈

?

(評弾

《江

南春

―多

点銀

、把地

了回

、堂不

~就

―・(蘇

《花

》)

作"

"

°(一一〇頁)

(四

)こ

の例

ぐ後

に見

る対

の方

、「杁

-鳥

-亀

クチナワツカヒカレモシヤゥゼハ

ムスコヲ

ツキノ

ゥチニハイシ

O

サイ――

マサニコレ

-

-子

・裡

二干

(子

)夫

-妻

―、

ジヤアヒマジハル也

-蛇

」(十

裏1

3

)

のよ

に文字

を改

る。

(四

)原

クハン

ニンノポルニ

テンニナク

ミチア

クハンイルニ

チニナシ

モン

コチラノ

カベ

キワニウツムキテキノドクカリ

-人

レ路

Y

・地

・門

-壁

-湘

-

アチラノ

キワニハヲ

カミシタヲ

イダシ

―壁

―咬

-伸

(十

一丁

7

8

)

ヤムルニ

タキリヲイトぐソヘ

タキ寸ヲ

コノ

ヘキ

サゥヒヲタキ

ネツ

ソウ――

ヲヅル

ヰニウヘニクダシ

イシヲ

-壁

-陥

二熱

・竈

―、

レ井

・石

モユルウヘヲタキツケ

カノ

ヘキ

サウレイ

ゴヒヤス

ヒトヲ

・壁

-廟

-語

(五

4

-

5

)

ヒヘタウヘヲヒヤス

コン

シンツメリ

タ・クミナヨル

ナンチニ

セツニナヵレ

コト

ツラ

カハヲ

ヤメテ

トウ

キヲ

-身

-

・援

(植

)

二傷

-上

-

―、

二淘

・気

ミウチ

カツ

マサニイコヘ

ソレガシヨリ

イマノチフタ・ピジ

ァヘテサン

ジモハナレ

-己

・今

二敢

-時

―(十

一丁

3

4

)

セキ

キン

チナク

ゼナク

タウ

タイ

ライ

イウジ

ザイ

-緊

-地

・是

レ非

-大

・来

-由

-在

(四

八丁

6)

ナニモナキトコロ

ジセツイタリデ

一32一

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0

往v1

ジ常ヤ

,ウ時ジ

紅弓

裾J

翠条

Y吊ぢ

猛言

皇,

騨履 リ

写麻 マ

;輯ヂ歴 り

ク■

7

ユ1ジ

灘 ヤウ

(四九

2

~3

)

タイ

ライイク

コノチ

イン

クハンコレセン

シヤウアリ

ブン

-都

-来

・個

-音

-

-

レ分

(四

5

)

スベテノ

ヲ・クハ

ヨベバ

コン

メイヲ

イソガシクコタユス

アヘテセス

アヘテセ

ホトコシテ

チヤウ

イツヲ

レン

シヤスヤ

ライハ

二混

・名

;

・揖

―連

・謝

-来

夜-来

(五六丁裏2~3)

(四六)「赤緊地」に

ついてのみ用例および辞書類

の記述を紹介する。

-緊

-地

レ是

・非、

-大

-来

・由

・在

(四八

丁裏

6

)

ナニモナキトコロ

ジセッイタリテ

(ま

ことに是もなく非もなく、どれほど自由気儘なことだろう

。)

※張相

『詩詞曲語辞匪釈』巻四

(台北、台湾中華書局、

一九八八年)四七五頁

赤緊、猶云当真也

;実在也西廟

一之

二・・『待麗下教人怒麗?赤緊的情沽肺臆、

意染肝腸』此為当真義、亦猶云真個是也。又二之

一;『孤嬬子母無投奔、赤

緊的先亡了有福之人』有福之人、指崔相国、―言当真有福者先亡、意則云孤嬬

子母後死者遭残也。按此為鶯鶯於普救寺聞冠警時語。(後略)

※遠山荷塘訓訳

『諺解校注古本西廟記』(『唐話辞書類集』別巻

(東京、汲古

書院、

―九七七年)四三頁

・八六~七頁。

―第二折

「赤緊的

(ゲ

ニく

)」

二第

一折

「赤緊

(カ

ヤウ

コト

ハご

「赤

、猶

※田中謙

二訳

『中国古典文学全集器

戯曲集

(上

)』(東京、平凡社、

一九七

〇年)十五頁

・二七頁。

いまさら思い切らんにも

なんで思い切れましょう

恋うるおもいが浸みこ

んで

五臓

六腋がたぎりた

(原本第

一本第

二折)

やもめの母と父なき子

あわれ身を寄すあてもなし

父さまはとく逝きて

幸せなりき今にして

(原本第二本第

―折)

※張燕理校注

『中国古典文学読本叢書

西廟記』(北京、人民文学出版社、

}

九九七年)三〇頁

・六六頁参照。また、第

一本第二折

の注

〔『。。〕(四

一~四

二頁)

"赤緊"二句

:是説五臓六臆都被情意牽動了。赤緊的、当真的、真個的。鄭

徳輝

《酔思郷王緊登楼》第

―折

・"赤緊的世途難、主人樫。那里也握発周公、

下楊陳蕃!"

(四七)中村幸彦

「都賀庭鐘

の中国趣味」(初出

『泊園』第十七号、

一九七八年)

『中村幸彦著述集』第十

一巻

(東京、中央公論社、

一九八二年)三四二頁。

(かわかみ

ようすけ

・博士後期課程)

33一