昭和津波 チリ津波 - MLIT...Microsoft Word - 石碑シート釜石.docx Author doukuu_14...

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地区名 両石(りょういし)地区 所在 岩手県釜石市両石町 石碑 岩手 116 117 118 ◆津波石碑の位置及び津波浸水線との関係 *津波石碑は☆から★へ移設 3 基の津波石碑は隣接して建立 ◆集落と津波との関わり 両石地区は狭長な谷と岩石海岸からなり、V字 谷のため津波エネルギーが集中しやすい地形と なっている。そのため、明治三陸地震津波と昭和 三陸地震津波で全滅に近い被災を受け、チリ地震 津波でも湾正面の家屋は 1 戸を除いて全半壊また は流失という比較的大きな被災を受けている。 明治津波 昭和津波 チリ津波 津波の高さ 11.6m 9.1m 3.9m 流失・全半壊 141 86 18 被害前 144 92 被害率 9893死・不明者数 790 3 被害前 939 被害率 84深い谷の地形のため移動に適した場所が少なく、明治三陸地震津波後は高地移転をしなかった。再び 全滅に近い被災を受けた昭和三陸地震津波の後に、高地移転を実施することになる。地盤高 7m以上の 山地を切り崩し、90 戸の移転先を 4 箇所に分散して確保した。 その後、分家や移住者が低地に定着し始め、チリ地震津波で被災を受けることとなる。 東日本大震災の津波は恋の峠近くまで達するなど、これまでの津波を超える浸水範囲となり、低地の 家屋だけでなく高地移転地の家屋も一部を除いて流失・倒壊の被害を受けている。 ◆津波石碑の概要 両石地区には 3 基の津波石碑があり、国道 45 号線の脇に隣接して建立されている。建立場所はかつ ての津波到達点であり、津波除けの標石としての役割を担っている。今回の東日本大震災の津波も当地 まで達しており、津波除けの標石としての役割を果たしたことになった。現在は、恋の峠上り口付近に 移設されている。 碑文が伝えるもの 建立 対象津波 の浸水線 との関係 東日本大震 災の津波の 浸水 対象津波 場所 岩手 116 明治津波 慰霊型 沿道 線上 線上 岩手 117 明治津波 慰霊型 沿道 線上 線上 岩手 118 昭和津波 教訓型 沿道 線上 線上

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地区名 両石(りょういし)地区 所在 岩手県釜石市両石町 石碑 岩手 116・117・118

◆津波石碑の位置及び津波浸水線との関係

*津波石碑は☆から★へ移設 *3基の津波石碑は隣接して建立

◆集落と津波との関わり

両石地区は狭長な谷と岩石海岸からなり、V字

谷のため津波エネルギーが集中しやすい地形と

なっている。そのため、明治三陸地震津波と昭和

三陸地震津波で全滅に近い被災を受け、チリ地震

津波でも湾正面の家屋は 1戸を除いて全半壊また

は流失という比較的大きな被災を受けている。

項 目 明治津波 昭和津波 チリ津波

津波の高さ 11.6m 9.1m 3.9m

建物

流失・全半壊 141戸 86戸 18戸 被害前 144戸 92戸 - 被害率 98% 93% -

人命

死・不明者数 790人 3人 - 被害前 939人 - - 被害率 84% - -

深い谷の地形のため移動に適した場所が少なく、明治三陸地震津波後は高地移転をしなかった。再び

全滅に近い被災を受けた昭和三陸地震津波の後に、高地移転を実施することになる。地盤高 7m以上の

山地を切り崩し、90戸の移転先を 4箇所に分散して確保した。

その後、分家や移住者が低地に定着し始め、チリ地震津波で被災を受けることとなる。

東日本大震災の津波は恋の峠近くまで達するなど、これまでの津波を超える浸水範囲となり、低地の

家屋だけでなく高地移転地の家屋も一部を除いて流失・倒壊の被害を受けている。

◆津波石碑の概要

両石地区には 3基の津波石碑があり、国道 45号線の脇に隣接して建立されている。建立場所はかつ

ての津波到達点であり、津波除けの標石としての役割を担っている。今回の東日本大震災の津波も当地

まで達しており、津波除けの標石としての役割を果たしたことになった。現在は、恋の峠上り口付近に

移設されている。

碑文が伝えるもの 建立 対象津波

の浸水線

との関係

東日本大震

災の津波の

浸水

番 号 対象津波 類 型 記

場所

岩手 116 明治津波 慰霊型 ○ 沿道 線上 線上

岩手 117 明治津波 慰霊型 沿道 線上 線上

岩手 118 昭和津波 教訓型 ○ 沿道 線上 線上

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◆碑文の内容

【岩手 116】 大きさ:高 167㎝幅 75㎝厚 14㎝ 標高:20m

(碑文の意訳)

この碑が滅しようとも、この恨みは消えない。たとえ雨に洗われ、苔に蝕まれ、文字が摩滅しようと

も、明治 29年 6月 15日の津波災害を昔からの言い伝えとして子孫に伝えよ。

当時、津波災害を受けた所は三陸沿海百里の地に及んだ。両石一村においてもやはり荒れ狂う大波の

中で 790人が命を落とし、生き延びた者はわずか 204人という痛ましいものであった。強い石弓をもっ

て海水を射ても海の神の力を封じることは難しく、今もって死んだ者の恨みを減ずることはできない。

涙にくれて生き残った者は、文を刻んで弔うことで冥福を祈る。石は小さいけれど大きな功徳である。

恨みは消え去ってもこの碑が消えることはない。

一切のものは掃き尽くされ あちらこちらに 青い波が広々と広がり 墓にはちょうど良い

生死の岸を離れ 底なしの船に棹差し 土塊つちくれ

は暗く 月は明るく海は果てしない

【岩手 117】 大きさ:高 190㎝幅 91㎝厚 42㎝ 標高:20m

(表面)

両石海嘯記念碑

精衡塡海不能減冤鬼之恨今也生者之涙凝成貞珉

此碑可滅矣此恨不可滅也縦令雨洗苔蝕碑字摩滅

子孫傳之口碑長語明治二十九年六月十五日海嘯

之災當時災水之所波及渉干三陸沿海百里之地以

両石一邨猶喪七百九十人其全生於狂瀾之中者僅

二百四人而己何其惨也強弩射潮而難殺海若之威

刻文設祭以修冥福石雖小而其功徳也大然則此恨

可滅矣此碑不可滅也銘日

 一踢踢翻 這邊那邊 碧波萬頃 好箇墓田

 離生死岸 棹無底船 塊兮其瞑 月朗海天

明治三十五年七月 北海居士廣田忠蔵撰并書

海嘯記念碑

従三位伯爵南部利恭出書画

明治二十九年六月十五日

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◆碑文の内容

【岩手 118】 大きさ:高 190㎝幅 104㎝厚 57㎝ 標高:20m

(表面) (裏面)

◆主な参考資料

卯花政孝(1991)「三陸沿岸の津波石碑-その 1釜石地区」『津波工学研究報告第 8号』東北大学

建設省国土地理院(1961)「チリ地震津波調査報告書」建設省国土地理院

内務省(1933)「三陸津浪に因る被害町村の復興計畫報告」『津波ディジタルライブラリィ文献検索』

山口弥一郎(2011)「津浪と村」三弥井書店

昭和八年三月三日

津浪記念碑

大地震の後には津浪が來る

美彦

地震ノ時

午前二時三十分

津浪襲來

午前三時

本碑ハ東京朝日新聞社

讀者ヨリ寄托サレタル

義損金同社カ各町村ニ

分配シタル残金ヲ持テ

建立シタルモノ也

昭和十年三月三日建設

鵜住居村長

古川徳次郎

恋の峠上り口付近に集められた両石地区の3基の津波石碑。高架橋は自動車専用道路、土手の上の道路が国道 45号。