ダンスホール・ゴスペルの男性イメージとジャマイカの Title ......of gospel...

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Title ダンスホール・ゴスペルの男性イメージとジャマイカの 教会コミュニティ --男性イメージが集団に与える影響を 考察するための概念整理にむけて -- Author(s) 二宮, 健一 Citation Kyoto Working Papers on Area Studies: G-COE Series (2010), 92: 1-35 Issue Date 2010-06 URL http://hdl.handle.net/2433/155740 Right © 2010 京都大学東南アジア研究所 Type Article Textversion publisher Kyoto University

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Titleダンスホール・ゴスペルの男性イメージとジャマイカの教会コミュニティ --男性イメージが集団に与える影響を考察するための概念整理にむけて --

Author(s) 二宮, 健一

Citation Kyoto Working Papers on Area Studies: G-COE Series (2010),92: 1-35

Issue Date 2010-06

URL http://hdl.handle.net/2433/155740

Right © 2010 京都大学東南アジア研究所

Type Article

Textversion publisher

Kyoto University

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ダンスホール・ゴスペルの男性イメージとジャマイカの教会コミュニティE

一男性イメージが集団に与える影響を考察するための概念整理にむけて--

Dancehall Gospel's Male Image and Jamaican Church Communities:

Conce tual Framework to Stud the Influence of the Male Ima e on Social Grou s

二宮健一 KenichiNinomiya

人間圏の探求シリーズ4

Kyoto Working Papers on Area Studies No.94

(G-COE Series 92)

June 2010

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このグローパル COEワーキングペーパーシリーズは、 下記 G-COEウェプサイトで閲覧する事が出来ます(Japanese webpage) http://w明 1九九humanosphere.cseas.kyoto-u.ac必/8組目cpagesjindex.php/working_papers(English webpage) http://間開.hurnanosphere.cseas.kyoto-u.ac.jpjenjstaticpagesfind倍。lpjworkinι.papers_en

⑥2010 字詰06-8501京都市京京区夜間下阿逮町46京都大学東隠アジア研究所

無断複写・複製・転載を禁ず

論文の中で示された内容や意見は、著者個人のものであ号、東南アジア紛究所の見解を示すものではありません。

このワーキングペーパーは、 JSPSグローパル COEプログラム (E悶 4): 生存3基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点 の援助によって出版苦れたものです。

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ダンスホール・ゴスペルの男性イメージとジャマイカの教会コミュニテイ

男性イメージが集盟に与える影響を考察するための欄金整理にむけて

Dancehall Gospel's悶aleImage and Jamaican Church Communities:

Conceptual Framework to Study

the Influence of the Male Image on Social Groups

ニ寓龍一

人間闘の探求シリーズ4

Kyoto Working Pap巴rson Area Studies NO.94

JSPS Global COE Pro詔ramS官ries92 In Sc註rchof Su自tainablcHumanosphcrc in Asia and Africa

June 2010

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ダンスホール・ゴスペルの男性イメージとジャマイカの教会コミュニティ

―男性イメージが集団に与える影響を考察するための概念整理にむけて―

二宮 健一

Dancehall Gospel’s Male Image and Jamaican Church Communities:

Conceptual Framework to Study the Influence of the Male Image on Social Groups

Kenichi Ninomiya

Dancehall Gospel is a form of Gospel music in Jamaica. As the name suggests, it

has the musical character of Dancehall music, which is the mainstream form of popular

music in Jamaica. Dancehall Gospel singers are called ‘Gospel Deejays’. One of the

characteristics which sets Dancehall Gospel apart when it is compared with other forms

of gospel music in Jamaica is that while gospel singers and church choirs are

predominantly female, most gospel deejays are male. This paper examines the image of the ‘Christian’ male, which Dancehall Gospel

represents, and considers the influence that it has on Jamaican church communities.

This paper also aims to construct a conceptual framework within which to study the

influence of the male image on social groups. Chapter 1 reviews three major perspectives found in Caribbean masculinity studies

and shows that they lack effective concepts with which to study the influence of a male

image on social groups. Chapter 2 presents the background of Dancehall Gospel. It

examines the male image represented by church and Dancehall respectively. Chapter 3

examines the male image created by Gospel Deejays through their stage performances

and considers the influence of that male image on church communities in Jamaica. The

last chapter makes several notes to construct the conceptual framework to study the

influence of the male image on social groups.

1. はじめに

ダンスホール・ゴスペルは、ジャマイカに見られるゴスペル音楽の一形態である。その名

に表されている通り、これは現地のポピュラー音楽であるダンスホール音楽の要素を取り込

んだものである。ダンスホール・ゴスペルの歌い手はゴスペルDeejayと呼ばれる。従来のゴスペル歌手や教会の聖歌隊のメンバーには女性が多いのに対し、ゴスペルDeejayのほとんど このワーキング・ペーパーは 2010年 3月12日から 14日に開催されたGCOEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」の主催するシンポジウム「人間圏を解き明かす―人間の生存、人びとのつながり」での発表に加筆したものである。

神戸大学大学院国際文化学研究科, 博士後期課程 Email: [email protected]

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は男性であるのが特徴の一つである。またそのゴスペルDeejayたちは、本論で見ていくように、ジャマイカのステレオタイプ的な「キリスト教徒」男性のイメージとは異なるキリスト

教徒」男性のイメージを持つ男性である。 本論はこのダンスホール・ゴスペルが表象する「キリスト教徒」男性のイメージがジャマ

イカの教会コミュニティに与える影響を考察する。この考察を通して本論はさらに、男性イ

メージが集団さらには社会に与える影響を捉えることができる理論的な枠組みを見出すこと

を目的としている。

男性に関わる事象をジェンダー研究の視角から扱う「男性性研究(masculinity studies)」と呼ばれる一連の研究群がある1。本研究もこの研究群に連なるものとして位置付けることができ

る。ただし、本研究は研究の焦点を「男性性」よりも狭く、「男性イメージ」へと限定してい

る。 ここでは「イメージ」を、箭内匡が美学者の岩城見一を引用しながらいうように、「意識に

対して感覚的に現前するもののすべて」であり、「本質的に前-言語的な現象」として捉えておく(箭内 2008: 181, 193)。つまりそれは、メディアや広告などによって視角的に表象されたものも、現実の個人や架空のキャラクターによって体現される全人格的なものも、寓話や

説話など聞いた時に想像される心象的なものも含んでいる。 このように「イメージ」を捉えたうえで、「男性イメージ」として本論がみなすのは、「男

とはこうあるべき」という呼びかけになりうる(つまりイデオロギー的な性格を帯びうる)

イメージである。この点で、日本語でいう「男らしさ」はここでいう「男性イメージ」に近

いといえる。 この男性イメージというトピックは、男性性研究の中でも重要な位置を占める。ポストモ

ダン、グローバル化といった言葉で表される状況に加え、フェミニズムも一定の成果をあげ

たことにより、男性のジェンダーはよりフレキシブルになっている。そのような状況の中で、

メディアなどを通して表象される「新しい」男性のイメージは、男性の日常的な実践や規範

意識に大きな影響力を持つと考えられるからである。さらにその新しい男性のイメージが特

定の集団の男性を代表している場合、それは社会内の集団間の関係に変化を引き起こす可能

性も秘めているといえるだろう。 社会変化と男性性の変化の関係を捉えるパースペクティブが必要であることは、社会科学

的な方法論で男性性の研究を行う研究者によって1990年代から指摘されてきた (cf. Messner 1993, Connell 2005)。人類学者による民族誌的な方法論を用いた男性性研究は、具体的な記述を通して社会と男性性それぞれの変化がどのように関連しているのかを理解することを可能

にするだろう。しかしこれまでのところ、人類学者による男性性研究は、ある地域に見られ

る特徴的な男性性や通文化的にみられる男性性の共通要素などを描出したものが多く、男性

性の変化とその社会的な影響に注目したものは少ないようである(cf. Gutmann 1997, ギルモア 1994)。ましてやそれを理論化したものは見られない。 本論で扱うジャマイカは、男性イメージの変化が集団やさらに社会に与える影響を考察す

1男性性研究の研究対象としての「男性性」という実体があるわけではない。個々の男性性研究の着眼点は、

セクシュアリティ、規範、役割など多様である。それぞれの研究者の用いる「男性性」という語が何を意味

するところも、この着眼点の違いによって異なってくる。

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るフィールドとしててきしている。ジャマイカは歴史的にみれば、奴隷制の時代以来、異人

種・異民族間の文化接触の場であった2。さらに現在ではアメリカ合衆国への大量の移民や、

アメリカの番組を放送するケーブル・テレビやインターネットの普及によって、グローバル

な関係性の中に置かれている。さらにフェミニストによる活動やジェンダー研究も 1970年代から行われており、1980年代後半からは本論の1章でみるような男性性研究も行われている。このような活動や研究を通じて新しい男性イメージが生まれている可能性は大いにある3。 本論は、ジャマイカ社会の中でも、教会コミュニティを取り上げ、そこにおける男性イメ

ージの作用を論じている。教会コミュニティは、2 章の冒頭で見るように、ジャマイカにおいて大きな集団である。ジャマイカには教会が多くあり、多くの人が教会と関係した生活を

送っている。特にほとんどの人々は幼少期に母親や祖母らに連れられて教会の日曜学校に通

う。公立の学校も教会によって設立されたところが多い。こうした環境のなかで、ジャマイ

カの人々の多くはキリスト教の世界観、倫理観の中で育っている。よって人々が理想的と考

える男性イメージも、教会によって提示されたものに影響されている可能性が大きいといえ

る。これが教会コミュニティに注目する第一の理由である。 教会コミュニティに注目する第二の理由は、教会が男性に向けた運動を行っているからで

ある。それはカンファレンスや路上でのマーチという形で行われている。このような教会の

活動がジャマイカ社会のジェンダーに影響を及ぼすことも十分に考えられる。 このような教会の活動でダンスホール・ゴスペルが BGMとして用いられたり、ゲストとして招かれたゴスペル Deejayがパフォーマンスしたりすることも多い。ゴスペル Deejayた

ちが体現するイメージは、従来の「キリスト教徒」男性のそれとは異なるものであり、それ

らに対しては教会コミュニティ内でも賛否両論の評価がある。本論では、このゴスペルDeejayたちの男性イメージと、それが教会コミュニティに及ぼす影響について考察する。しかし上

で述べたように教会が外部に向けた活動を行っていることや、人々の世界観、倫理観の形成

に大きな影響力を持っていること、さらにダンスホール・ゴスペル自体も教会コミュニティ

の外にリスナーを持つことを考えると、その男性イメージはジャマイカ社会全体に対しても

影響力を与えうると考えられる。 またゴスペルDeejayたちが作り出す男性イメージは、キリスト教系のテレビ局・ラジオ局

2 ジャマイカは、1494 年に、コロンブスの二度目の航海で「発見」され、スペイン領となった。原住民のアラワク・インディアンは、スペイン人がもたらした疫病と過酷な使役労働で滅亡してしまった。その代替と

なる労働力として黒人奴隷がアフリカから輸入されるようになった。1655年にはイギリス海軍による侵攻・占領によってジャマイカはイギリス領となり、それ以降は大規模な奴隷制プランテーションによるサトウキ

ビの生産が行なわれた。1834 年から 38 年にかけて段階的に奴隷制が廃止され、その後黒人奴隷に代わる労働力としてインド系、中国系の年季労働者の輸入が開始された。1962年にジャマイカは独立し、英連邦に加盟する立憲君主国家となった。このような歴史を経たジャマイカの人種・民族構成は、2001 年の国勢調査(Jamaica Population Census 2001)によると黒人が 91%、混血が 6%、インド系、中国系、白人はそれぞれ 1%未満となっている。 3変化の例として、ジャマイカの男性性の特徴の一つとしばしばいわれてきた強い同性愛嫌悪が(Brown et al. 1998: 23)、時代とともに変化していることが挙げられる。シェバンズによると、ジャマイカでは 1980年代初頭から同性愛嫌悪が強くなったが、1990年代初頭にはすでに中産階級の男性たちの間で同性愛者に対する態度の緩和が見られていた(Chevannes 1993: 38)。さらに現在では、1990年代にジャマイカのポピュラー音楽に溢れていた同性愛者へのバッシングの表現も影をひそめ、さらにはトランス・ジェンダー的なキャラクタ

ーの喜劇役者が(嫌悪感を表明する人も多いものの)絶大な人気を博している状況である。このような変化

は、アメリカの映画や番組を放送するケーブル・テレビが普及し、アメリカ的な価値観が流入したことや、

欧米の人権団体が音楽アーティストたちへ圧力をかけてきたことにも影響されていると考えられる。

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やインターネットといった、近年発達したメディアを通して発信されているという点、アメ

リカのゴスペル音楽文化の影響や海外でのゴスペル・イベントへの出演といったグローバル

な関係性のなかにあるという点でも男性イメージと現代的な社会変化との関連性を見るため

の事例として注目に値するといえる。 本論では、まず 2章でジャマイカを中心としたカリブ海地域の男性性研究にみられる三つの代表的なパースペクティブを整理し、それらが男性イメージが集団に与える影響を考察す

るために有効な概念を備えていないということを確認する。3 章では、ダンスホール・ゴス

ペルの背景の整理を行う。ここでは特に、教会とダンスホールそれぞれがもつ男性イメージ

がどのようなものであるかを、先行研究をもとに明らかにする。4章ではゴスペルDeejayたちが作り出す男性イメージを彼らのステージ・パフォーマンスの分析を通して明らかにし、

それが教会コミュニティにどのような影響を与えているのかを考察する。 本論の議論に入る前に、簡単に用語の説明を行っておきたい。本論では英語の‘masculinity

studies’の訳語として「男性性研究」という語をあて、それらの研究の中で用いられる’manhood’, ‘masculinity’の訳語として「男性性」を当てる。より一般的な「男らしさ」という語を使わないのは、英語の ‘manhood’, ‘masculinity’の意味範囲がイメージ、アイデンティティ、価値、規範、セクシュアリティ、ジェンダーのどれをも指すことができる広いものであり、かつ価

値中立的に用いられるからである。それに対して日本語の「男らしさ」は肯定的に価値づけ

されるイメージのみを意味しており、 ‘manhood’, ‘masculinity’がもつ広い意味範囲を捉えきれない。したがってより価値中立的な「男性性」という語を訳語として選択する。一方で「男

性性」という語はその意味範囲の広さゆえに時として議論の輪郭をぼやけさせることにもな

りかねない。それを避けるため、本論では訳語以外の箇所では場面に応じて男性イメージ、

男性のジェンダー、男性としてのアイデンティティ、男性の性役割、男性のセクシュアリテ

ィなどの言葉を使い分けることにする。 2. カリブ海地域の男性性研究に見られる三つのパースペクティブ 本章ではカリブ海地域の男性性研究4に見られる三つのパースペクティブを整理する。それ

は、黒人男性が周縁的かどうかという議論の中に見られる男性の位置づけをみるパースペク

ティブ、西インド諸島大学のプロジェクト研究に見られる、男性の意識を取り上げるパース

ペクティブ、「覇権的男性性」概念を用いた研究に見られる、男性間の力関係に注目するパー

スペクティブ、の三つである。そのうえで、それらのパースペクティブが男性イメージが集

団に与える影響を考察するために有効な概念を備えていないということを確認する。 ジャマイカをはじめとするカリブ海地域では、1980年代半ばから男性性研究が盛んに行わ

4 本論で行うのはジャマイカの状況をめぐる議論でありながら、本章で整理するのはジャマイカを含む「カリブ海地域の」男性性研究である。カリブ海地域の諸国が持つ社会的差異が看過できないにも関わらず、こ

のような広い範囲の先行研究をひとまとめにして扱うのは、現地の研究者たちが「カリブ海地域の男性性

(Caribbean Masculinity)」を考察の単位としていることが多いからである。この地域の男性性研究の中心となってきたのは西インド諸島大学の研究者たちであるが、この大学はカリブ海地域の英語圏諸国が共同で運営

し、そのキャンパスも複数国に分散しているユニークな大学である。各キャンパスが連携した研究やシンポ

ジウムが多く行われていることから、「カリブ海地域の男性性」といった広い考察の単位が共有されているの

である。

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れるようになった。この時期に男性性研究が始まった理由には以下の二つがある。一つ目は

ジェンダー研究からの要請である5。カリブ海地域のジェンダー研究の中では、女性に対する

男性からの暴力が特に問題化され、それと連携した取り組みも数多くなされてきたが、それ

らの取り組みは女性にふるわれる暴力を効果的に減ずるには至らなかった。この苦節を通し

て、ジェンダー研究者や活動家たちは、現実を変革するためには、「被害者」である女性たち

ではなく、「加害者」である男性たちを対象とした研究や取り組みが必要だと気づいたのであ

った(Reddock 2004: xvi-xvii)。男性性研究が始められたもうひとつのきっかけは、1986年に

刊行された、西インド諸島大学(the University of the West Indies)の教育心理学者ミラーによる『黒人男性の周縁化(Marginalization of Black Male)』をめぐる議論であった。ここではまず、この男性の周縁性をめぐる議論の中に見られるパースペクティブから見ていくことにす

る。

2.1 「周縁的」な男性像 ジャマイカの失業率は高く、貧困地域では日中から路地で集まりドミノなどのゲームをし

て過ごす男性たちの姿が目に付く。一般にはこのような男性たちを指して「周縁的だ」とい

われることがあるが、アカデミズムにおいては、1950年代から 60年代にかけて行われた家族形態に関する人類学研究がそのような言説を生産した。その代表的なものとして、R.T. スミスによる研究と、E.クラークによる研究を挙げることができる。

1956 年に書かれた R.T. スミスによる英領ギアナの黒人家族についての著書は、現在広く

用いられている「母親中心家族」6という用語を人口に膾炙させたカリブ海地域の家族形態研

究の古典であるが、彼による「母親中心家族」の説明の際にも、男性の周縁性が強調されて

いる。 世帯は母親中心的になりがちである。というのも、「母親」の立場にある女性がたいて

い集団の事実上のリーダーであり、反対に夫・父親は、法的には世帯集団の主である

5 カリブ海地域では、1975年に国連が定めた国際女性年に呼応する形で、行政機関や研究機関におけるジェンダー関連の組織の設立が行われた。 6「母親中心家族(matrifocal family)」は、母親や母方の祖母が世帯形成の中心となる拡張家族である。 この母親中心家族は、男女の夫婦関係の段階的発展の末に形成されるとされる。男女の夫婦関係は、男性が母親

とともに暮らす女性のもとへ訪問する「訪問夫婦(visiting union)」から始まる。多くの場合、この関係の中で夫婦は最初の子供をもうける。そしてその関係が順調に進めば、夫婦は同棲を始め、「慣習法婚(common law marriage)」の段階に入る。「慣習法婚」は法的・宗教的な認可が伴わないということを除けば、法的結婚の状態と何ら変わらない。訪問夫婦の関係は破局してしまうこともしばしばであるのに対し、慣習法婚の関係は

より持続的なものである。母親中心家族は、訪問関係のまま女性が子育てを続けるか、慣習法婚の状態から

男性が死別、あるいは出稼ぎや他の女性と暮らすための離別などをすることで形成されることとなる。 法的な結婚は、慣習法婚の関係がしばらく続き、関係の安定性が確かめられ、結婚にかかる資金もたくわ

えられた後に行われる場合が多い。現在では婚外子にも嫡出子同様の権利が認められ、5 年以上慣習法婚の関係が続いた妻にも財産の相続権が認められているため、法的な結婚によるメリットはさほどなくなってい

る。それでも法的な結婚が理想として考えられているのは、それが宗教的に夫婦の関係を認可する儀礼でる

こと、およびそれが社会的な地位をその夫婦にもたらすものであることが理由として挙げられる(Davenport 1961: 427, Chevannes 1993b: 4)。

2001年の国勢調査(Jamaica Population Census 2001)によると、ジャマイカの全世帯のうちの 39.7%で女性が世帯主となっている。また、登記局による 2003年の人口統計(Vital Statistics 2003)によると、すべての新生児のうちの 83.6%が婚外子として生まれてきている。

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にもかかわらず、その集団の内的関係の複合において周縁的であるためである。「周縁

的」ということばで私たちが意味するのは、彼がその集団の他の成員と比較的まれに

しか交際しないということ、および彼がその集団を結びつける実際の絆のはずれにい

るということである(Smith: 1996: 14)。7 カリブ海地域の家族形態研究のもうひとつの古典で、ジャマイカを調査地としたものがE. クラークのMy Mother Who Fathered Meである。この著作では、そのタイトルが示すとおり、彼女が「母方居住家族(matrilocal family)」と呼ぶジャマイカの下層階級にみられる家族形態での女性の中心性が描き出されると同時に、男性の家族に対する周縁性と無責任さが強調さ

れている。 男性は女性を妊娠させることで自分の生殖能力を証明するとそれで満足し、親となること

に伴う義務や義理を必ずしも受け入れない、とクラークは述べる。それらは一般的に女性の

責任として受け止められており、もし彼がそれらを承認したり履行したりしなくとも公的な

非難は一切無い(Clarke 1966(1957): 96)。父子の関係については、下層階級のコミュニティでは父親は家庭の外で時間を過ごすことが多く、子供との親密な関係を築くことは稀である

という(Clarke 1966(1957): 147)。しつけの面でも、父親は時に感情に任せて子供を叱り、過度の体罰を与えることがあるということを述べている(Clarke 1966(1957): 161)。このようにクラークは、一貫して男性を否定的に描いている。

1950年代-60年代の家族形態に関する人類学研究が描いているのは家族(より正確には世

帯)における男性の周縁性であったが、それは同時に社会一般における男性の周縁性をほの

めかすものでもあった(Wilson 1969: 70-71)。その後、「無責任」で女性や子供に対して加害者的な男性像は、70年代-80年代のジェンダー研究でも引き続き描き出されたと言える。一方「周縁的」な男性像に関しては、1986年に刊行された、西インド諸島大学の教育心理学者ミラーによる『黒人男性の周縁化(Marginalization of Black Male)』によってセンセーショナルな議論が巻き起こされることになった(Miller 1986)。 この著作でミラーが論じたのは、植民地時代に編成されたジャマイカの教育制度は、教育

を受けた黒人男性の出現により社会変革が起こされるのを防ぎ、白人男性の支配的地位を存

続させるため、意図的に女性に有利なように作り上げられているということであった。現在

のジャマイカでは、優秀な中等教育学校への進学率や最高学府である西インド諸島大学への

進学率は女子生徒のほうが男子生徒よりも高くなっているが、それはこのような教育制度に

おける男性の周縁化の結果なのだとミラーはいう(Miller 1986: 1-4)。

さらにミラーは、このような黒人男性の周縁化は教育以外の領域でも見られるという。貧

困層の家族では女性が世帯主となり男性が周縁的であるということや、教会のコミュニティ

の大多数が女性であるということ、男性よりも女性に多くの雇用機会が与えられているとい

うことがそれにあたる。これらは相互作用し互いに補強しつつ、黒人男性の周縁化を再生産

しているという(Miller 1986: 5)。

7 この著作 The Matrifocal Familyは著者R.T.スミスの既刊論文を寄せ集めて再掲する体裁をとっている。ここで引用した箇所はこの著作の1章からのものであるが、この章は1956年に発表された著作The Family in British Guiana:Family Structure and Social Status in the Villageからの抜粋されたものである。

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同著の刊行後、ミラーが主張しているように本当に男性たちは周縁化されているのかどう

かをめぐって、新聞のコラムや投書欄において盛んに議論が交わされた。「黒人男性の周縁化」

という言葉はここにおいて独り歩きを始め、フェミニズムと女性の社会進出に対するいわゆ

るバックラッシュのスローガンとさえなった感がある。 ミラーの論旨は、白人男性によって黒人男性が周縁化されてきたということであった。し

かし彼が用いるデータには明らかな偏りがあり、彼の主張を的確に裏付けてはいないため、

論旨は不完全なものに終わってしまっている。また、彼の論旨は黒人女性のほうが黒人男性

よりも社会的に有利な立場に置かれている(つまり黒人女性によって黒人男性が周縁化され

ている)と主張しているようにも取れる。ジェンダー研究者たちはこの点に敏感に反応し、

この著作をめぐる議論は「本当に黒人男性は、黒人女性と比べて、周縁化されているのか否

か」という点に集中している(cf. Figuiora 2004, Chevannes 1999, Parry 2004, Baritteau 2003, Barrow 1998a, Lindsay 2002)。 男性の周縁性をめぐるこれらの議論は、社会の中での男性の位置づけを論じている。そこ

で問題となるのは男性の学業成績や、役割などであり、男性イメージは問題とされない。ま

た、不完全だったミラーによる黒人男性の周縁化理論を除いては、社会、集団、男性ジェン

ダーを動態的に見るのではなく、固定的に見ている。そのためこのパースペクティブには男

性イメージが社会に与える影響を考察するために有効な概念を見出すことはできない。 2.2 男性の意識を取り上げたプロジェクト研究 次に見るのは、男性の意識を取り上げるパースペクティブである。このパースペクティブ

は、カリブ海地域の男性性研究の中心となった、西インド諸島大学(The University of the West Indies / 以下UWIと略す)の研究者たちによる男性性に関する質的な調査のプロジェクトの中に見出せるものである。1991 年には「カリブ海地域の男性による家族への貢献 (The Contribution of Caribbean Men to the Family / 以下 CCMFと略す)」8、1993年には「カリブ海地域のジェンダー社会化プロジェクト(Caribbean Gender Socialization Project / 以下 CGSPと略す)」9、1994年には「カリブ海地域の家族とジェンダー関係の特質 (Family and the Quality of the Gender Relations in Caribbean / 以下 FQGRCと略す)」10と呼ばれる研究プロジェクトが発

足している。 以上の調査プロジェクトのデータを用いた研究では、「周縁的」「無責任」といった従来カ

リブ海地域の黒人男性に付されたネガティブなイメージの見直しが目指されている。例えば

CCMFとGSPの報告書の序文では次のように述べている。

8 この研究プロジェクトは、ジャマイカ、ガイアナ、ドミニカ国における計 6 つの貧困層のコミュニティでのインタビュー調査を通して、男性たちが夫/父親として家族に対して果たしている役割を明らかにしよう

としたものであった。UNICEF 他の資金援助を受けて西インド諸島大学のカリブ海地域児童発達センターにより行われた。 9 この研究プロジェクトでは、前回と同じ 6 つのコミュニティでの質的調査が行われたが、その研究の主眼は成人男性の夫/父親としての家族内役割ではなく、少年から成人男性へという社会化の過程におかれた。

UNICEFと西インド諸島大学の社会学・社会福祉学科が中心となって行われた。 10 この研究プロジェクトは UWI の社会経済研究所によって実施された。ジャマイカ、バルバドス、ドミニカ国を調査地として行われている。

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生まれたときから彼らを男性として定義づけるとされる期待に応えるべく、多くの障

害にもかかわらず最善を尽くしていると感じている男性たちは、「無責任なカリブ海地

域の男性」や「不在の父親」といった一般のステレオタイプでひとまとめにされるこ

とに憤慨している(Brown et al. 1998: 3)。

この言葉に表れているように、UWIが行った男性性についての質的調査の研究の調査報告では、社会的困難(主に貧困)のせいで実現は難しいが、男性たちは自分たちに期待される

役割を果たそうとする前向きな意識を持っているということが強調されてきた。例えば、上

記の CCMFと CGSPに基づく研究論文では、失業、低収入のせいで父親としての経済的な期待に応えられない男性は自己イメージが低くなるのは避けられないものの、家事や養育を分

担すると述べられている(Brown et al 1997: 112)。 またこの二つの研究プロジェクトのディレクターを務めたシェバンズの論文では、多発す

る犯罪は、女性との関係を通して男性としてのアイデンティティを獲得しようという欲求と、

それを阻む経済的な状況によって引き起こされると見ている。男子にとって、女性との関係

を持つことは男性としてのアイデンティティを構築する上で必要であるが、同時に彼らには

女性との関係において経済的な役割を果たすことも期待される。しかし十分なトレーニング

も受けないまま学校をドロップ・アウトした若者にとって、女性との関係、ましてや複数の

女性との関係において経済的な要求に応えることは難しく、それが若者たちを非合法な経済

活動に向かわせているという11(Chevannes 1999: 28)。

さらに同様の例としては、FQGRC で得られたデータを基にしてジェンダー関係に対する少年の意識について書かれたブランシェの論文が挙げられる。ブランシェは、「制限された男

性性」という語で調査対象者であるインナー・シティ出身の少年たちの男性性を表現してい

る。彼によると貧困地域の社会経済的な環境の中で、男性たちは生き延びるための苦闘を強

いられ、彼らにはタフで好戦的な個人になることが要求される。またそのような環境の中で、

彼らのアイデンティティは脆弱であるが、それゆえに自尊心、自負心、自己の能力を信じる

感覚を表現し、同時にそれを守るような心理的感性を持っているという。彼がインタビュー

を行ったインナー・シティの少年たちが複数の女性との交際を希求すること12や、交際相手

の女性に対して暴力をふるうといった問題は、この「制限された男性性」の表れとして起こ

っているのだ、とブランシェはいう(Branche 1998: 195, 197)。 UWIのプロジェクト調査による基づいたこれらの研究は、男性がもつ規範意識や理想を取り上げている。これらの研究で扱われている規範や理想は、男性の意識の中でイメージ化さ

11 非合法な活動の中でも、銃犯罪はジャマイカにおける深刻な問題11であるが、銃犯罪の多発の原因は銃が

若い男性のアイデンティティの象徴となっていることにあるとシェバンズはいう。彼によると、「銃の増殖は

単に薬物の取引のためのものではなく、男になるとはどういうことなのかの究極的な表現になっていること

によるものである。それは他者からの畏怖と敬意の対象であり、自身の自尊心の恐れなき守護者である」 (Chevannes 1998: 30)。 12 この論文でブランシェは、少年たちが複数の女性と関係を持つことの根底には、女性に対する不信感があるということも明らかにしている。少年たちは、もし一人の女性だけにコミットし献身的になると、その女

性からつけこまれ利用されると考えており、それに対する防衛策として複数の女性との関係をもっていると

いう。また彼らは、女性たちも自分たちと同じように複数の男性と関係を持っていることを当たり前のこと

として考えている(Branche 1998: 193-94)。

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れる場合には、男性イメージとして考えることができるだろう。しかし、ここでの規範や理

想は集団や社会に変化を引き起こすものとしてではなく、むしろ集団や社会を固定するもの

として捉えられている。たしかに規範や理想だけでは集団や社会に起こる変化は説明できな

い。それを説明するためには規範や理想に対抗するような男性イメージも考察の範疇に含め

なければならない。だが UWI によるプロジェクト調査研究では、カリブ海地域の男性に付与されたネガティブなイメージを見直すという目的のため、考察の単位を「カリブ海地域男

性」と大きく設定し、社会内の集団の間にみられる差異や関係性に配慮せず、単一の規範や

理想のみを取り上げる結果になってしまっている。ここには男性イメージが集団や社会に与

える影響を考察するために有効な概念は現れない。もちろん UWI のプロジェクト研究以外に目を向ければ、男性存在が内包する差異を軸とした男性性研究もこの地域では行われてい

る。その代表例として、次に見る「覇権的男性性」概念を用いた研究が挙げられる。 2.3 覇権的男性性 「覇権的男性性」は、男性性研究の牽引者の一人であるオーストラリア人の社会学者、R.コンネルが 1995年の著書Masculinitiesで提唱したものであり、男性性を男性たちの間での差異と力関係を念頭において考察しようとするものである。「どのような時にも、ある男性性の

かたちはその他の男性性の形よりも文化的に称揚される」とコンネルは指摘する(Connell 2005 (1995): 77)。その文化的に称揚された男性性を、コンネルはアントニオ・グラムシの覇権の概念を用いて「覇権的男性性」と名付ける。コンネルは「覇権は文化的理想と制度的権

力との間に、たとえ個人的にではないにしても集団的に、いくらかの一致が見られるときに

のみ確立するようだ」という(Connell 2005 (1995): 77)。「覇権的男性性」とは、そのようにして特定の男性が他の男性や女性に対する支配的地位を確保することを可能にする男性性の

ことなのである。 カリブ海地域の男性性研究にもこの「覇権的男性性」概念は援用されるようになっている。

しかしこれは奴隷制時代の白人支配層の男性と黒人奴隷の男性や、植民地時代の白人支配層

と黒人中産階級など、男性集団間の明らかな支配-被支配の関係を前提とできる場合には有

効な考察の枠組みとなっているが(e.g. Beckles 2004: 227, Downes 2004: 130)、そのような明確な支配-被支配の関係を見出すことが難しい現在のカリブ海地域社会における男性性の研

究では、この枠組みを用いた研究の必要性が主張されているものの(e.g. De Moya 2004: 74-76, Lewis 2004: 257-58)、この枠組みを用いた実証的な研究はまだ見られない。 この概念もやはり、男性イメージが集団や社会に与える影響を考察するために適している

とはいえない。その理由は以下の二つである。一つ目は、「覇権」という概念を用いることで、

あらかじめ考察の枠組みを限定してしまうことになること。二つ目は、「覇権」概念が喚起す

る集団間の権力関係が固着しているイメージは、男性イメージが社会に与える影響を動態的

に考察するために適しているとは考えられないということである。 ここまでみたカリブ海地域の男性性研究に見られる三つのパースペクティブには、男性イ

メージが集団や社会に与える影響を考察するために適した概念は見出すことができなかった。

では、どのような概念がその考察を可能にするのだろうか。本論では、その答えを得るため、

まずダンスホール・ゴスペルがどのような男性イメージを表象し、それが教会コミュニティ

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にどのような影響を与えているのかを記述し、この事例の考察を思考することを通して適切

な概念を模索する。次章ではその準備として、ジャマイカの教会と「キリスト教徒」につい

て、そしてその「キリスト教徒」が通常はダンスホールを批判するにもかかわらず、その要

素を取り入れダンスホール・ゴスペルを生産しているという背景について説明する。さらに

ジャマイカのポピュラー音楽であるダンスホール音楽が表象する男性イメージと、「キリスト

教徒」のステレオタイプ的な男性イメージについて説明する。

3. ダンスホール・ゴスペルの背景 3.1 ジャマイカの教会と「キリスト教徒」 (表 1)は、ジャマイカにおける宗教・教派ごとの所属人数と全人口における割合を示したものである13。ここでカテゴリーとして挙げられているキリスト教の各派のうち、最も所

属人数が多いのは、安息日再臨派(Seventh Day Adventist)である。しかし、いわゆるペンテコステ系(Pentecostalおよび Church of God が名前に含まれるもの)の所属人数を総合すれば、ジャマイカの総人口のじつに 3分の1近くとなり、ジャマイカの最大グループということとなる。

13 ジャマイカは 1494年にコロンブスによって「発見」されて以来、スペイン領であったが、1655年にイギリスに奪取され、イギリスの植民地となった。それからしばらくは、英国国教会がこの島の唯一のキリスト

教教会であった。彼らの使命は白人プランターのために典礼を行うことであり、黒人に対する布教は行わな

かった。18世紀の後半にモラヴィア派、メソディスト派、バプテスト派などのプロテスタント諸教派が渡来し、白人以外の人口にも伝道を開始した。特に黒人奴隷に対して熱心に伝道を行ったバプテスト教会からは、

アフリカ的な信仰形態をとりこんだ土着の「ネイティブ・バプテスト」と呼ばれる教会が派生した。奴隷制

の廃止(1834~38 年)に向けた動きを推し進めることになった 1831 年のサム・シャープの乱や、ジャマイカが直轄植民地へと転換するきっかけとなった 1865年のモラント・ベイの反乱は、どちらもネイティブ・バプテストのリーダーによって主導された。キリスト教は、白人支配者層のための体制維持に加担する一方で、

黒人たちによる抵抗も後押ししてきた。 1860年代にはイギリスやアメリカで起こった信仰復興がジャマイカにも波及したことで、アフリカ的な信仰形態とキリスト教が習合した「リバイバリスト(Revivalist)」13と呼ばれる信仰形態が誕生した。リバイバ

リストの教会に通うのは貧困層の黒人たちであったが、1920年代以降にアメリカから伝わったペンテコステ派の諸教会がそのような貧困層の黒人たちを吸収して急激に増加した。それによりリバイバリストの教会の

数は減少したものの、現在まで存続している。なお、(表 1)の統計ではリバイバリストはカテゴリーとして設定されていない。

1930年には、ラスタファリアンと呼ばれる人々が出現した。彼らはエチオピアの新しい皇帝として戴冠したハイレ・セラシエ 1世の神性を信じ、またドレッド・ロックスと呼ばれる束状の髪型が彼らの象徴になっている。キリスト教の聖典である聖書をアフリカ中心的に再解釈することで、彼らが創造した教義や実践に

意味づけを行っている。ラスタファリアンの人口は 1960 年代に増加し、70 年代にはボブ・マーリーをはじめとするラスタファリアンのレゲエ歌手の世界的ヒットにより世界中に広がった。そのためファッションや

用語法など、文化的な面での影響力はジャマイカ国内外で大きい。(表 1)における人口割合は総人口の 1%未満と小さいが、これは「ラスタは宗教ではない」と考える人が多いため、実際に信仰を持っている人の数

を正確には反映していないものと思われる。 また、オビアマン(Obeah man)と呼ばれる呪術師も奴隷制時代から現在まで存続している。オビアはいわば社会的タブーであり、日常的生活の中でオビアについてオープンに語られることは少ないが、ポピュラー

音楽の中にはオビアマンやそれに頼る人を叱責する歌詞が散見され、日常生活に潜在するオビアマンの存在

感の大きさを察することができる。

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(表 1)2001年 宗教所属/教派による人口割合

Source: Jamaica Population Census 2001, Statistical Institute of Jamaica

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(表 2)2001年 宗教所属/教派の人口割合(男女別)

Source: Jamaica Population Census 2001, Statistical Institute of Jamaica

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さらに、「無教派(non-denominational)」の教会のなかには、ペンテコステ派ではないがそれに近い要素を持つ教会が多い。無教派の教会の規模は大小様々である。表1では、「その他

の宗教/教派(Other Religion/denomination)」と回答した者が約 10パーセントいるが、ここには、このような無教派の教会に通う人々と、選択項目として名前が挙げられていない小規

模な教派の教会に通う人々が多く含まれているものと考えられる。 また、「どのような宗教/教派もなし(No Religion/denomination)」と回答した者が約 20パ

ーセントもいるが、これはいわゆる「無神論者(atheist)」の多さを表すものではないということに注意しなければいけない。この調査の質問文は、「あなたの宗教所属(affiliation)や教派は何ですか?」となっており、この「所属」が何を意味するのかは説明されていない。そ

のため、特定の教会に通っていない人々は、たとえ聖書に書かれているような神の存在を信

じていたとしても「なし」と回答した可能性が高い。筆者のこれまでの経験では、無神論的

な世界観をもっているジャマイカ人は非常に少ないと思われる。 表2は、表1の統計が男女別であらわされたものである。この表からは、キリスト教各

教派の「所属者」は女性のほうが男性よりも 1割から 4割ほど多いことがわかる。男性は、キリスト教以外の宗教に女性よりも多く「所属」していることがわかるが、特に目立つのは

「どのような宗教/教派もなし」との回答者に男性が圧倒的に多く、女性の約 2倍となっていることである。これは、男性のほうが女性よりも教会から遠ざかりがちであるという傾向

を表している。実際に教会の日曜礼拝の参列者を見ると、男性は全体の 3分の1に満たない

ことが多い。 「キリスト教徒」の男性の数は、この表が各教派に「所属」する人数として示すものの総

和よりも少ない。先にも述べたとおり、上の表は宗教/教派への「所属」というあいまいな

基準を用いた統計の結果であり、人々の宗教的アイデンティティを正確に反映したものでは

ない。ジャマイカの人々のほとんどは、すでに述べたように、キリスト教的な神の存在を信

じている。しかしこのような信心を持っていたとしても、彼は自らを「キリスト教徒」だと

考えるわけではない。「キリスト教徒とはイエスを救い主として受け入れた者のことだ」とい

う説明はジャマイカではよく聞かれる。この説明には、そのようにイエスを救い主として受

け入れることで、その人は変容し、「罪深い」生活を避け、神の教えにしたがった生き方をす

るようになる、という考えが伴っている14。教会に通っている人であっても、「罪深い」生活

をおくっていると自認する者は、自分を「キリスト教徒」ではなく「教会に行く者(church go-er)」と表現することがある。

「キリスト教徒」が避けるべき「罪」は多岐にわたり、またそれは明確に規定されている

わけではないが、礼拝などで特によく取り上げられるのは、「婚前性交渉(fornication)」「婚外性交渉(adultery)」といった性的な罪である。1章で述べたように、ジャマイカでは 80%以上の新生児が婚外子として生まれてきていることに表れているように、これらはジャマイ

カで非常に優勢で慣習的な「罪」である。それゆえこれらの性的な罪を避けることができる

14 このように考える傾向は福音主義的なプロテスタント諸教派に広く見られるものであるが、ジャマイカの場合は回心体験と聖霊による洗礼の体験を重要視するペンテコステ派が多数派であることによって強められ

ていると言える。

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かどうかが、「キリスト教徒」としてのアイデンティティを持つことができるかどうかを大き

く左右しているといえる。

3.2 ダンスホール・ゴスペル ダンスホール・ゴスペル15とは、ジャマイカのポピュラー音楽であるダンスホール音楽の

音楽的技法を使ってキリスト教的なメッセージを歌う音楽である。 ジャマイカでは、「ダンスホール(danechall)」という語は、二つの意味を持つ。一つは音

楽ジャンルとしてのダンスホールである。ここでは便宜的にこれを「ダンスホール音楽」と

呼ぶことにする。ジャマイカのポピュラー音楽は、1950 年代後半からのスカ(Ska)、1960年代後半からのロック・ステディ(Rock Steady)、レゲエ(Reggae)、そして 1980年代後半からのダンスホール音楽、という形で新しい流行の形態を作り出してきた。レゲエからダン

スホールへの音楽形態の変化は、主にデジタル機器による作曲技術の流入によって促された

といわれている。ダンスホール音楽の音楽的特徴としては、リディム(Riddim)と呼ばれるデジタル録音されたリズム・トラックに載せて Deejay(ディージェイ)16と呼ばれる歌い手

が歌うということが挙げられる。Deejayの歌唱法は、アメリカのヒップ・ホップにおけるラッパーの歌唱法と似ているが、ジャマイカのクレオール言語であるパトワ語(Patois)が英語よりも安定した音程を持つため、単純ではあるがメロディを持つ歌唱法になっている。歌詞

の面では「スラックネス(slackness)」と呼ばれる性的な内容を露骨に歌うものや、「ガン・リリック(gun lyric)」と呼ばれる、銃を使ったギャング抗争を描写したり、銃を比ゆ的に使って

自分の能力を表現するものが多く、これらはスカやレゲエに親しんできた年配の人々や、本

論でみる「キリスト教徒」たちからの批判の的となっている。 ダンスホールという語が意味するもう一つのものは、ダンスのための場である。ここでは

これを便宜的に「ダンスホール空間」と呼ぶことにする。これは「セッション(session)」、あるいは単に「ダンス」「パーティ」とも呼ばれる。このようなダンスの場は、「サウンド・

システム(sound system)」と呼ばれる巨大なスピーカーセットを含む音響設備を路上や広場に設置することで作り出される。このような形のダンスホールは、第二次世界大戦後のイギ

リスへのミュージシャンたちの移出や、レコード、音響機材、それを扱う技術の流入などの

要因によって誕生したといわれる(Stolzoff 2000: 41-43)。 主都キングストンでは、毎晩あちこちに大小のダンスホール空間が出現する。ダンスホー

ル空間では次々と流行のダンスが誕生するが、その中には Dutty Wine’(Dutty=下品な、汚い。Wine=腰をくねらす動き)、 Hot a Wuk (Wuk= Work。性交の隠語)、Daggarin’ (突き刺すこと。激しい性交の隠語) などという名称にみられるように性的な含意を持つものも多い。着飾っ

15 本稿で用いる資料は主に 2008年 8月から 2009年 8月の間に行ったジャマイカ首都キングストンでの現地調査で得られたものである。この調査ではゴスペル・コンサートや伝道集会での観察や、ゴスペルDeejayたちとのつき合いの中での彼らの音楽活動や日常の観察、彼らの作品の収集、教会関係者やゴスペル関係者に

対するインタビューを行った。なかでも、キングストンのインナー・シティにサウンド・システムを設置し、

ダンスホール・ゴスペルの音源やゴスペルDeejayのパフォーマンスを通した伝道を行っているプレイズ・ハウス・ボンバーズ(Prayz House Bombards)というグループの活動には繰り返し参加した。 16 日本などで言うラジオDJやクラブDJにあたる、音源を選択して機材にかける担当者はジャマイカでは「セレクター(selector)」と呼ばれることが多い。本論ではジャマイカで言う「ディージェイ」にDeejayという表記をあてることで、彼らが一般に言われるDJとは異なる存在であることを強調する。

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て集まる若者たちの中には奇抜なファッションの者も少なくない。特に女性は肌の露出度の

高い服を着た人が多い。また、そこではアルコール類やタバコの販売はもちろん、マリファ

ナの販売や喫煙も半ば公然と行われていることが多い。これらの点はダンスホール空間が「キ

リスト教徒」から批判される所以となっている。 ダンスホール音楽とダンスホール空間はもちろん相互に結びついており、ひとつのダンス

ホール文化を形成している。ダンスホール空間でサウンド・システムが流す曲の多くがダン

スホール音楽であり、有名Deejayたちの中には新しいダンスをレクチャーするかのような曲

を作り、それがダンスホール空間で新しい流行のダンスを生み出すことも多い。 ジャマイカにおいて、ラジオやテレビで放送され、CD-R にコピーされて路上で売られるダンスホール音楽は主要な娯楽文化となっているといえる。タブロイド紙でも人気Deejayたちの動向を扱った記事が大きな割合を占め、ダンスホール文化の社会的影響の大きさ、人々

の関心の高さを物語っている。そのなかでも特に貧困層の人々にとっては近隣で行われるダ

ンスホール空間は最も身近な娯楽となっている。 ダンスホール文化における「スラックネス」、「ガン・リリック」、性的な含意を持つダンス、

その他の多くの要素がキリスト教的な倫理にそぐわず、「キリスト教徒」の批判の対象となっ

ている。ダンスホールはしばしば教会における語りのなかでも「罪」や「世のこと(world)」を象徴するもののように用いられており、また牧師の説教の中で特定のDeejayの名前が挙げられ批判されることもある。ジャマイカで多数派となっているペンテコステ派の教会では、

救済/悪魔祓い (deliverance)がしばしば行われるが、そこではダンスホールを「悪魔が支配

する空間」とする表現すら聞かれる。 ところがダンスホール・ゴスペルはダンスホールのパフォーマンスの形式を、「キリスト

教徒」が用いている。ダンスホール・ゴスペルでは、「ゴスペル Deejay」と呼ばれる歌い手たちが、通常のDeejayと同じような音源に乗せ、同じような歌い方をするのだが、彼らが歌うのはキリスト教的メッセージである。なお、教会の聖歌隊やゴスペル・シンガーには女性

が多いのに対し、ゴスペル Deejayのほとんどは、世俗の Deejayがそうであるように、男性である。多くのゴスペルDeejayは、ペンテコステ派や、その影響を受けたカリスマ的な無教派の教会に通っている。

1990 年代後半に、それまでにすでに世界的な名声を築いていた何名かの Deejay が「キリスト教徒」となったことで、Deejayの歌唱法で歌われるゴスペルの生産が始まった。当時はまだ「ダンスホール・ゴスペル」とは呼ばれておらず、より穏やかな響きをもつ「レゲエ・

ゴスペル」と呼ばれていたものの、この時期にDeejayの歌唱法で歌われるゴスペルが一つの

音楽的な立場として認知され、また商業化されるようになったといえる。 ゴスペルDeejayたちの活動の場は世俗のダンスホールとは別にある。彼らのパフォーマンスは主に教会やキリスト教団体が行う伝道集会や催しで行われ、ゴスペル・シンガーや教会

の聖歌隊と場を共有している。彼らのメディア露出は、キリスト教系のテレビ局やラジオ局、

あるいは早朝や週末の各局のゴスペル番組に限られている。彼らの曲が世俗の音楽チャート

に登場することも珍しく、彼らが世俗のアーティストに混じってステージ・ショーに出演す

る機会も少ない。 現在ある程度の名声を得ているゴスペル Deejayたちの多くは、回心前にも Deejayとし

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て活動していた経歴を持っている。その中には、かつてキリスト教的な倫理からは程遠いギ

ャング活動や薬物摂取や性関係に手を染めていた経験を持ち、その経験について歌や語りの

中で積極的に言及する者も少なくない。しかし現在は、「キリスト教徒」になる以前にDeejayとして活動した経験がなくともゴスペルDeejayとして活動を始める「キリスト教徒」の若者も増えており、全体としてゴスペルDeejayの数は増えつつある。 彼らが体現する男性イメージはダンスホール文化的なものと教会文化的なものに影響され

たものとして考えられるが、それを理解するためにはダンスホールと教会がそれぞれどのよ

うな男性イメージを提示しているのかを見ておかなくてはいけない。 3.3 ダンスホールの男性イメージ 教会がダンスホールを非難する主な原因は、「ガン・リリック」や「スラックネス」と呼ば

れる表現上の特徴や、ダンスホール空間に見られる飲酒、タバコやマリファナの喫煙、性的

な含意のあるダンス、アクセサリーの過剰な着用や肌の露出を伴うファッションなどにある

が、ダンスホール文化を体現する主要なエージェントであるDeejayたちの人格的なイメージが教会の人々から批判されることも少なくない。 Deejayたちが体現する男性イメージは様々であり、それを類型化する研究者もいるが(e.g. Stolzoff 2000: 163-68, Hope 2006: 31-32)、その中でも違法者(outlaw)的な存在に同一化した男性イメージの表現は最も代表的なものとして扱われている。ジャマイカでは、いわゆる悪

漢的人物を指して、「バッドマン(bad man)」という言葉が使われるが、ガン・リリックを歌

うDeejayたちもしばしばバッドマンを自称する。クーパーはそのような性向を「バッドマニズム(badmanism)」と呼ぶ。彼女によるとバッドマニズムとは、「輸入映画のヒーローや悪党の服装面とイデオロギー面での「スタイル」を、ジャマイカの若者たちが模倣し適合させ

ることを学び、複雑な社会化の過程の中で精錬された演劇的提示(theatrical pose)である(Cooper 2004: 146-47)」。また、クーパーは、バッドマニズムがもつ双価性についても説明している。このようなハリウッド映画の影響の他に、「隷属させるための鞭打ちに屈すること

を拒否したアフリカ系奴隷の人々の反逆的エネルギーに起源を持つ、英雄的な「バッドネス」

の土着的伝統も存在する」(Cooper 2004: 147)。バッドマニズムは、それ自体に対する価値判断を簡単には許さないようなものなのである。 ホープはバッドマンDeejayは男性の力のシンボルである銃について歌い、ダンスホール暴力や銃のイメージとの結びつきを増加させているという(Hope 2006: 90)。特に 1998年前後から広く使われるようになった「シャッタ」17という語が表象するのは力、攻撃性、強さを

持つ個人のイメージであるのに加え、彼が持つ銃は「硬く、ファロス的な力―象徴的で永久に直立しているペニス」のイメージを宿している(Hope 2006: 96)。若い児童生徒の間でも、男女を問わず、「シャッタ」という形容が地位と賞賛を表すものとして好んで使われていると

いう(Hope 2006:97)。 ストルゾフによれば、ジャマイカ人には国家権力に挑戦する無法者(outlaw)を好む傾向が昔からあるが、現在ではギャングスタたち(gangsters)が、犯罪行為も行う一方で、このよう

17 「シャッタ」は英語の ‘Shooter’ にあたるジャマイカのクレオール語彙であり、ギャング集団に属するガンマンのことである。

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な英雄的な役割を果たしているという(Stolzoff 2000: 10)。Deejayやシンガーたちはその歌の中でギャングスタの生活をロマン化し、またそのパフォーマンスや日常生活を通してギャン

グスタ的な役を作り上げる(Stolzoff 2000: 11)。

力の男性的象徴(女性、車、金)の派手な表示と望む結果を達成するためには暴力の

行使もいとわないことに基づくギャングスタのライフスタイルは、ゲットーの何千も

の若者男性にとってよい生活のモデルとなってきた。それゆえギャングスタの人物像

はダンスホールのパフォーマンスの中心的テーマとなってきた(Stolzoff 2000: 11)。 これらの研究者たちが注目する「バッドマン」「シャッタ」「ギャングスタ」のイメージを

体現する傾向を「バッドマニズム」として括り、ダンスホール文化に典型的に見られる男性

イメージとして考えることができるだろう。 3.4 「キリスト教徒」の男性イメージ ダンスホールに見られる「バッドマニズム」が若い男性たちの間で賞賛されるのに対し、

「キリスト教徒」の男性イメージは一般に彼らの間で軽侮される傾向がある。ジャマイカの

ペンテコステ派についてジェンダー的な視点から調査研究を行ったオースティン=ブルース

は、回心してペンテコステ派の「キリスト教徒」になる男性は男らしさを表現する方法とな

る結婚を伴わない性的関係、ギャンブル、飲酒、喫煙などを「罪深いもの」として放棄しな

ければいけないのでアイデンティティに難題を受けるのだという(Austin-Broos 1997: 123)。加えて、ある福音派教会の牧師の論文によると、教会での活動は感情の表出を伴う「ソフト」

で「女っぽい」ものであり、学校でのようにじっと座って話しを聞いていなければいけない

「子供っぽい」ものであるということもそこへ通う男性たちの評価を低くしている18(Vassel 1997: 24, 30-31)。回心して「キリスト教徒」になったときに周囲の男性たちから嘲笑されたという語りは私のフィールドワーク中にもよく聞かれるものであった。一方で、説教師や牧

師といったリーダー的な地位にある男性に関しては、彼らが相反する二つの価値体系をしば

しば両方体現する存在だということが言われてきた。 人類学者のウィルソンは、カリブ海地域の民族誌を資料として、この地域の社会には「名

声(reputation)」「尊敬(respectability)」という言葉で象徴される二つの価値体系が存在していると論じたが19(Wilson 1969: 70)、彼は説教師をその二つの価値体系を両方体現する存在として捉えている。

多くの場合、最も放蕩な者が最も活動的な改宗者(proselytisers)や説教師(preacher)

18 ジャマイカでは、教会の集まりでは女性が圧倒的な多数である。この牧師は自身の教会の教会員における男性の割合は 17パーセントだというが、これはジャマイカの教会においては一般的な数字だと思われる。 19 この価値体系の区分は、その後のカリブ海地域文化の研究でも頻繁に参照される理解モデルとなった影響力の大きなものであった。「名声」という言葉で象徴される価値体系は、主に男性によって体現されるものと

されている。これは仲間内での名声を希求するものであり、その名声は主に、社会の法的システムを蝕み、

それに背き、それを出し抜くことのうまさによって得ることができる(Wilson 1969: 80-81)。一方、主に女性が体現するとされる「尊敬」という価値体系は、教会が提示するような法的道徳性を体現することによって

実現されるものであるとされている(Wilson 1969: 78)。

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になる。それゆえある意味では説教師の地位はしばしば最も高い「名声」と「尊敬」

の地位を表している。「名声」が「尊敬」に力を付加している。これは価値体系の間で

の重複が見られる例だと言える(Wilson 1969: 78)。 シェバンズはジャマイカの賭け事、「ドロップ・パン(Drop Pan)」のシンボリズムについての研究において、民衆の間では牧師が性的な力と宗教的な力をあわせ持った存在として想像さ

れているということを説明している20。

多くの人が考えるように、会衆の宗教的リーダーである男性のポジションは、鶏の群

れの中にいる雄鶏のアナローグである。・・・・・・ジャマイカの宗教生活は、聖職者とそ

の会衆の女性メンバーの間の禁じられた性行為のうわさや非難で満ちみちている (Chavannes 1989: 47-48)。

オースティン=ブルースは、女性が男性よりも性的な罪を犯しやすい存在であることを説

教の中などで強調し、彼女たちが罪を犯さないよう管理しながら、自らは性的な誘惑を良く

知るものであるかのように語り、女性教会員たちからもしばしば性的な魅力を持つ男性とし

てまなざされる牧師は、性的なものと霊的なものが直列連結された存在だという (Austin-Broos 1997: 154-57)。

このように「キリスト教徒」の男性イメージは、一般的には「ソフト」であり、牧師や説

教師などのリーダー的なポジションにある者に関しては「キリスト教徒」が表向きには抑制

しようとしている力を含みこんだアンビバレントなものであることが指摘できる。 本章でみたように教会とダンスホールは異なる男性イメージをもっている。では、「キリス

ト教徒」によって生産され、主に教会によって消費されるものでありながら、ダンスホール

の要素を取り込んだものでもあるダンスホール・ゴスペルは、どのような男性イメージを作

り出しているのだろうか。次章ではまず二人のゴスペルDeejayのパフォーマンスを例として、そこに見られる男性イメージの構築を考察し、次にそれが教会コミュニティに及ぼす影響に

ついて考察する。

4. ゴスペルDeejayのパフォーマンスとその影響 4.1 ガディ・ガディのパフォーマンス ガディ・ガディは私が現地調査をしていた 2008年から 2009年にかけて、ジャマイカで最も人気があり、知名度も高いゴスペルDeejayであった。この時期の彼は、伝統的な賛美歌をリメイクした ‘Chaka Chi’という曲が大ヒットさせており、大手家具店のCMにも出演するなど、ゴスペル・アーティストとしては異例の活躍をしていた。多くのゴスペル・コンサートで、

20 「ドロップ・パン」では、人々が 36の数字の中から賭ける数字を選ぶ際に参照する数字のシンボリズムの表があるのだが、そこでは「牧師」と「男らしさ(masculinity)」が同じ 29で象徴され、祭壇と男性器(phallus)が 31で、聖書と女性器(vagina)が 35で象徴されている。

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目玉アーティストとして出演者ラインナップの最後に配され、告知ポスターには彼の写真が

大きく載せられていた。 その風貌は、決してハンサムとはいない。多少ふくよかな体系をした大柄な男性である。

下膨れの顔をしているうえに、口を開けると歯並びも悪い。常にサングラスをかけている21。

クールさを演出するサングラスとポーカーフェイスが、顔全体の不細工さを隠しきれていな

いところがコミカルな印象も与える。彼自身もステージの上で、「俺があんまり醜いから、人々

は『神様が俺を造ったときに材料が足りなかったんだ』って言ったものさ」と笑いのネタに

することもある。 彼は 1999年に回心し、ゴスペル Deejayとして活動をスタートしている。現在までに彼は3 枚のアルバム CD を発行している。アルバムのジャケットではそれぞれ迷彩柄の軍服、カウボーイ風の上下スーツ、牧師風の詰襟シャツなど、コスチューム風の服装に身を包んでい

るが、小さなステージや伝道集会に現れるときには、軽く模様の入ったシャツにジーンズと

いう出で立ちのことが多い。胸にはいつも十字架のネックレスをつけ、腕にはブレスレット

をはめている。 彼の Deejayスタイルは歯切れのよい早口であり、他のゴスペル Deejayたちと比べても技術の高さを感じさせる。加えてステージ上の彼は卓越したコメディアンでもある。伝道集会

などでは、歌よりも話のほうが長いこともあるほど。巧みに声色を変え、ふんだんにジェス

チャーを使い、観衆を大いに笑わせる。 彼は 1971年生まれ。良い両親のもとに育ち、小さい頃には教会に通っていたという。彼の

弟で同じくゴスペルDeejayをしているライアン・マーク(Ryan Mark)によると、その家族は「豊かでも貧しくもない、平均的な家族」だったという。5 人兄弟がいて、全員同じ両親からの子供だというから、母親は「キリスト教徒」として婚前性交渉を避けてきた女性あろ

うことが想像できる。父親はよく大きなサウンド・システムを呼び、地域でダンスホールを

開いていたという。彼は幼い頃から、キリスト教とダンスホールの影響を強く受けて育った

ことがうかがえる。 ガディ・ガディは 13歳のときに早くも Deejayとして有名プロデューサー「スライ・アンド・ロビー(Sly and Robbie)」のもとで初レコーディングを体験している。高校を卒業し、電気技師として2年間働いた後、仕事を辞めて本格的にDeejay活動に専念するようになった。当時の彼はスネーク・マン(Snake Man)という名を使っており、トップ・クラスの Deejayたちに混じって活動していたが、ヒット曲には恵まれなかった。 同時に彼は、キングストン内にあるカッサバ・ピース(Cassava Piece)という貧困地域で

「墓場団(Grave Yard Crew)」というギャングのリーダーとなっていた。弟のライアン・マークによると、それは彼の悪い友人たちの影響を受けた結果だという。 彼は 1999年に回心し、「キリスト教徒」になるが、その経緯についての語りにはいくつかのヴァリエーションがある。2007年 8月に著者が行ったインタビューでは、その回心のきっかけは、同じギャングの仲間たちが次々と撃たれて死んでいく22のを見るにつけ、次は自分

21 筆者がインタビューをした際に間近で見ると、サングラスの奥の目は障害を抱えているようにも見受けられた。それを隠すためにサングラスをかけているのかもしれない。 22 彼が回心したのは 1999年であったが、その 2年前の 1997年はジャマイカの殺人事件発生率が世界最多と

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の番なのではないか、自分が死んだらその魂は一体どこに横たわるのか、と考えるようにな

ったことにあるという。そして彼はこのままでは自分は地獄に行くと考えるようになる。

俺は当時レゲエ・アーティストとして「スラックネス」とか「ガン・リリックス」を

たくさんやったり、犯罪と暴力を促進していた。そこへ聖書の記述がこう言ってたん

だ。「どんなつまらない言葉に対しても、その者は責任を取らなくてはならないだろう」23ってね。だから俺は怖くなったんだ。俺の命。俺の魂。それが悪魔の地獄に行こうと

しているのを知ったんだよ。だからこのライフスタイルはもういやだ、って思った。 一方、ある教会の催しで彼がステージ上で説教をした際には、これとは異なる内容の語り

がなされた。そこで語られたのは、彼を妬んだ同じギャングの友人によって殺されそうにな

った。それにショックを受けた彼はそれを期に友人と縁を切ってイエスを親友とし、彼に仕

える決心をした。そしてすぐに教会に行き、キリストに人生を捧げた、という内容である。 さらに、これらとはまた異なる記述が彼のマイスペース24上のプロフィールではなされて

いる。それによると、ある夜テレビの宗教番組を見ていた彼に罪の自覚が訪れ、彼はひざま

ずいて神に祈り始めた。そして世俗のDeejayであることを止め、教会に通い始め、ペンテコステ系の教会で洗礼を受けている。 彼の回心の経緯をめぐるこれらの語りは、相互に矛盾するものではないかもしれないが、

一つの出来事に関する語りが、その時の状況に合わせて、異なる形で現れてくる可能性を示

している。 ここでは、ジャマイカで最大規模のゴスペル・コンサートである「ファン・イン・ザ・サ

ン(Fun in the Son)」25でのガディ・ガディのパフォーマンスの様子考察する。この日、ガディ・

ガディは最後から 2番目のパフォーマーであった。模様の入った白い三つ揃えのスーツを着ている。彼はこの日、数曲をパフォーマンスをしたが、以下はそのうち「罪のなさ(Sinless)」をパフォーマンスしている際の様子である。

ガディ・ガディはステージの前方に立ち、片手にはマイクを、もう片方の手には白い

言われるほどにまで高まり、危機感が社会に広がっていた時期であった。 23 マタイによる福音書 12章 36-37節からの引用。「言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉にもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、自分の言葉によって罪ある

者とされる。」 24 マイスペース(My Space)はいわゆるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でるが、アーティスト向けのサービスを行っており、利用者が自分の開設したページを大幅にデザイン変更できたり、自分

の楽曲やビデオをアップロードできたりする。アーティストを自認する者の多いジャマイカでは、マイスペ

ースは非常にポピュラーであり、私が出会ったゴスペルDeejayのほぼすべて自分のマイスペースを開設し、それを使った情報発信を重要なプロモーション活動として考えていた。 25 このコンサートは、毎年春休みのシーズンに行なわれているもので、ステージや音響設備の規模は国内最大級であるが、入場料は無料である。そのため、多くの観客が集まる。普通のコンサートとの違いは、アル

コール飲料の販売ブースが無いこと。だが、著者が 2009年 3月に西インド諸島大学の運動グラウンドで行なわれたものに足を運んだ際には、そこかしこからマリファナの香りが漂っていた。集まっているのは、普

段教会に通っているような人ばかりではないようであった。この会場から発される音は、近隣に広がる貧困

地域にこだまする。その音につられてやってきたという風情の人も少なくなかった。もちろんキングストン

から遠く離れた都市部からの送迎バスでやってきた人もいるなど、このコンサートを目当てに遠くから足を

運んできた人もいる。

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ハンカチを握り締めている。はじめガディ・ガディは、少し身をかがめ、声のトーン

を下げて歌っている。バンドも彼に合わせて音量を落として静かに演奏している。「罪

は政治家たちに子猫(puss)のように盗ませる。そして自分の国を貶しあい(cuss-cuss)みたいに安く売り渡すんだ。」ここでガディ・ガディはぐっと背すじを伸ばし、叫ぶよ

うにして歌い始める。「罪は女の子たちにここから上を(right ya so come up)白くさせる!」このときガディ・ガディはハンカチを持ったほうの手で腰のあたりから頭まで

を指差す。「で、この下はブレッド・フルーツ26が焦げあがったみたいに黒いんだよ!」

彼は自分の足元を指差しながら叫ぶ。これは薬品を使った肌の漂白(breaching)に対する批判である。注意深く聞いていた観衆からは大きな反応が返される。歓声があがり、

多くの人が飛び跳ねている。手に持ったタオルや国旗を頭上で振る人も多い。ガディ・

ガディはそのままコーラス部分を歌う。コーラス部分が終わると、くるっと振り返り、

バンドに向かって、「音量(level)!音量!」と指示を出し、音量を再び下げさせる。再び観客のほうに向いたガディ・ガディは、「聞けよ。ちょっと待って。二人の男が一

緒に寝るべきじゃないと思う人は全員、こうやって手を挙げて。」と、自ら片手を挙げ

てみせながら観客に呼びかける。多くの人はそれに応えて手を掲げながら歓声が上げ

る。口笛も鳴らせれている。興奮気味の観衆に向かい、ガディ・ガディは「そう思う

かい?ようし。言わせてもらうぞ?ガディ・ガディを見ていろ。俺をよく見てろよ。」

そしてバンドのほうに振り向き「ゆっくり。」と指示を出し、再び観客に向かい、「聞

けよ。シッ。」といった後、次の歌詞を歌い始める。

「罪は男たちに耳や鼻に穴(nose)を開けさせる。女の子の服を着てセクシーなポーズ(pose)を決めさせる。」彼は女性がよくするように腰に手を当て、ポーズをとってみせる。観客が大きく反応し、それを見たガディ・ガディは一度歌詞を中断する。バ

ンドのほうに歩み寄り、「ゆっくり演奏しろって言っているだろ!」と声をかける。そ

の間、観客は大笑いしている。女性たちが「ヒーヒッヒ!」「ヒャー!」と高く笑う声

が響く。若い男性たちが手の指をピストルの形にし、頭上に掲げているのがいくつも

見える。「ガン・サリュート」と呼ばれる、ダンスホール空間における賞賛のジェスチ

ャーだ。 ステージ前方に戻ってきたガディ・ガディは、「俺だけがこんなにアティチュード27を

持っているゴスペル・アーティストだぜ。誰か言ってくれよ、『アティチュード!』」

観客から「アティチュード!」の声が返される。「もう一度準備はいいかい?ガディ・

ガディを見ろよ。俺を見ろ。シッ!」というと、ガディ・ガディは先ほどの箇所から

もう一度歌う。今度は先ほど中断した箇所を通過し、次の歌詞へと続く。観客はまた

先ほどと同じところで歓声を上げかけるが、ガディ・ガディがさらに歌うのをみて、

再び注意深く彼の言葉を聞く。「罪は男たちにジャネットやパムを捨てさせる。マキシ

ーンもシェロンもだ。そしてチチ・マン(Chi chi man)28に変えてしまう。」ガディ・

26 ジャマイカでは庭先などに植えられていることの多い果樹。メロンほどの大きさになるその果実は、焚き火で丸ごと焼いた後に、切り分けて水で炊く調理法が一般的。 27 英語の「態度(attitude)」だが、ジャマイカでは、「度胸」「大胆さ」どの意味で肯定的に使われる。 28 同性愛者を指すパトワ語の語彙。

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ガディは飛びのくように 2,3歩下がり、モデルが歩くときのように足を交差させて歩いてみせながら次のように歌う。「罪は女の子たちにマッチ(matches)みたいにホットだと思わせる。そしてハゲタカが熱い灰(ashes)の上を歩くみたいなステップをさせるのさ!」これには、観客もこれまでで一番大きな反応を示す。

ここでとりあげたガディ・ガディのパフォーマンスからは、従来的な「キリスト教徒」の

男性イメージとは異なるものとしての彼の男性イメージが浮かび上がる。ガディ・ガディは

ダンスホールのパフォーマンス技法を駆使しているが、それは「キリスト教徒」として好ま

しくないとされる攻撃性や横暴さを伴っている。例えば、彼のパフォーマンスの中で、ガデ

ィ・ガディが同性愛を間違いだと思う観客に手を挙げさせ、多くのジャマイカ人にとっては

答えが明らかなこの質問に答えてほとんどの観客が手を挙げ、この行為によって会場に一体

感を創出する技法が見られる。この同性愛者をスケープゴートにした一体感創出の技法は、

ダンスホールでよく見られるものである。もっとも、同性愛はキリスト教的な罪でもあるた

め、同性愛者の批判自体は、教会の礼拝でも聞かれる。そこにもその罪を指摘することによ

って話し手と聞き手の間にある種の共同性の感覚を作ろうという狙いが無いとはいえない。

しかしこのガディ・ガディのパフォーマンスの一場面に見られるようなあからさまなスケー

プゴート化、攻撃性はやはりダンスホール特有の技法だといえる。 これに加えて、「ガディ・ガディを見ていろ。俺をよく見てろよ。」「聞けよ。シッ。」「音量、

音量!」「ゆっくり演奏しろって言ってるだろ!」などの、観客に対する彼の呼びかけやバン

ドに対する指示は、教会の礼拝では見られない、ある種の横暴さを含むものである。もっと

もペンテコステ派やその影響を受けた教会の礼拝でも、牧師と演奏者との掛け合いが展開さ

れ、その中で牧師から演奏者への指示が出される。しかしその場合にはここで見られるよう

なあからさまな命令ではなく、より微細な、目配せや手を使った合図であることが多い。会

衆への注目を促す指示も同様である。 先に述べたように、ガディ・ガディは「牧師として叙任された」と自称している。Deejayと牧師という、教会がダンスホールを批判していることを考えれば一見相いれない二つの肩

書を一身に体現しているのである。ここでみたパフォーマンスの中では、ガディ・ガディは

牧師が体現すべきキリスト教の倫理と Deejay の体現する攻撃性や横暴さが両立可能なものであることを示して見せているといえよう。言い換えれば、キリスト教の倫理に反さない範

囲で攻撃的な表現や横暴な振る舞いをすることが可能であることを彼は示して見せているの

である。さらに彼は、性的な能力も、キリスト教の倫理に反さない範囲で表現することが可

能であることをパフォーマンスの中で示して見せる。それはよくステージ上で披露する「証

し」の中で示される。この「証し」29は彼が回心した際の体験に基づくものである。彼はか

つてコミュニティでも有名なギャリスト(gyalist)30であったが、回心して妻だけに誠実になる

と、「ソフト」になったといって嘲笑されるようになった。彼は最初そんな自分を恥じていた

が、ある日神から語りかけられるという経験をした彼は、自分の行いに自信を持つようにな

29 Testimonyのこと。「証し」または「信仰告白」と訳されることが多い。これは人々の面前で自分が回心するにいたった経緯や、生活の中で神の恵みを得た体験を語ることである。 30 パトワ語で、「女たらし」のこと。称賛を込めた意味合いで使われることが多い。

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る。あるとき教会に通う彼に向かって男たちが近づき、「あっちに行け!古ぼけワン・バーナ

ー!」と揶揄を飛ばす。「ワン・バーナー」とは、火口がひとつだけの調理コンロのことであ

り、一度に一人の異性しか相手にできない者への侮蔑表現でもある (Branche 1998: 195)。この揶揄に対してガディ・ガディは、次のようにやり返す。

俺はただ、ふんぞり返ってポーズをとり、腰に手を当てて彼を見つめ、言ってやった

んだ。「いいか、聞けよ。ワン・バーナーのほうがいいんだ。なぜならワン・バーナーの

ほうが調理ガスは長持ちするからな!」 筆者は彼がステージでこれと同じ語りを行うのを何度か見たことがあるが、必ずこの箇所

で会衆は笑いの渦に包まれる。観衆に笑いをもたらしているのは、ガディ・ガディが彼に向

けられた「ワン・バーナー」との揶揄に対して、キリスト教的な倫理規範の主張(「神は婚外

性交渉や婚前性交渉を禁じている」)という正論で対抗するのではなく、相手の鼻をあかすよ

うな切りかえし(「ワン・バーナーのほうが性的な力が持続する」)を行っていることである。

ここではガディ・ガディは性的能力を証明する方法をいわば「多発性」から「持続性」へと

ずらすことによって、キリスト教的な倫理の枠内で自らの性的能力の強さを主張することを

可能にしているのである。

4.2 プロディガル・サンのパフォーマンス 次に、プロディガル・サン31(Prodigal Son)という名のゴスペルDeejayのパフォーマンスを見ていきたい。プロディガル・サンもガディ・ガディと並び、現在のダンスホール・ゴス

ペルを代表するゴスペル Deejay の一人である。彼はおそらく最も成功したゴスペル Deejayだと言えるだろう。彼の曲のいくつかは、ダンスホール音楽一般の音楽チャートでも上位に

ランク・インしたことがある。プロディガル・サンはこれまで 3枚のアルバム CDを発売している。毎年 8月に「リチャージ(Recharge)」という大型のゴスペル・コンサートを主催している。また音楽レーベルも運営しており、他のゴスペル・アーティストたちのマネージメ

ントも行なっている。 そのような成功の一方で、2008年にはマネージャーを務めていた妻との離婚騒動が話題にもなった。離婚の原因は明らかにされていないが、彼の浮気が原因だといううわさを筆者は

しばしば耳にした。そうでなくとも、離婚は聖書で禁じられており、「罪」だと考える傾向が

「キリスト教徒」の間では強い。プロディガル・サンらゴスペルDeejayたちは、音楽によっ

て福音を伝道するという立場をとっており、また「キリスト教徒」の若者たちにも絶大な人

気がある。そのような彼らには当然、そのような「罪」に染まらない男性イメージを体現す

ることが求められる。ゴスペルDeejayとして活動している者の中には「あれはほんとに恥だよ。」と苦言を呈する者もいた。

31 プロディガル・サン(放蕩息子)という名は、聖書でイエスが語る例え話(「ルカによる福音書 15章 11~32節」)にちなんでいる。ある人の二人兄弟のうち、弟は家を出てもらった財産を放蕩で使いつくした後に悔い改めて帰ってくるが、父親は彼を温かく迎い入れるという話しである。プロディガル・サンは、父な

る神のもとに帰ってきた自分の姿をこの放蕩息子に重ねているものと思われる。

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年齢は 30過ぎで、体格は中肉中背である。服装は、あるときは三つ揃えのスーツ、あるときは Tシャツとジーンズでラフに、あるときはベストやマフラーなどを着用し、様々に演出される。 彼のDeejayのスタイルには、ガディ・ガディのような技術の高さは感じられない。彼の成功は、むしろ彼の過去の経歴を利用した、イメージ演出によるところが大きいように思われ

る。 プロディガル・サンは、首都キングストンの隣に位置するセント・キャサリン教区の田舎

で祖母に育てられている。13歳のときに祖母が亡くなり、彼はキングストンの悪名高いインナー・シティ、リマ(Rema)で暮らすようになり、ギャングの一員として銃を手にしていた。彼は 1997年に回心している。彼が回心に至った経緯はメディアやステージ上では語られていないようである。著者も残念ながら彼にはインタビューできておらず、その点の確認はまだ

取れていない。 彼が Deejayとしての活動を始めたのは回心してからである。彼をゴスペル Deejayとして育て上げたのはダニー・ブラウニーがという人物である。彼は 1990年代のダンスホール音楽界のトップ・プロデューサーでありながら、1998年に回心し、それ以降は世俗のダンスホール音楽のプロデュースを止め、ゴスペル音楽を専門にプロデュースしている。 彼のイメージ演出を、彼のパフォーマンスの様子を通してみてみたい。2009年 4月 2日(木曜日)に首都キングストンのマックスフィールド通り(Maxfield Avenue)で行われた伝道集会32

で、プロディガル・サンがゲスト・アーティストとしてパフォーマンスを行った。マックス

フィールド通りはキングストン市内でも犯罪の多発で名高い場所である。この日この伝道集

会が行われているのは、同地区出身で前年の北京オリンピックの陸上競技で金メダルを取っ

たウォーカー選手(Melaine Walker)の壁画の正面である。壁画の隣にある日用品店の前にベニヤ板の小さなステージが組まれ、その両脇に高さ 3メートルほどの大きなスピーカーが積まれている。ステージの斜め後方に立てられた折りたたみ式テーブルの上には、ミキサーやタ

ーンテーブルなどの機材がセットされており、それをMCの男性が操作する。 ステージを照らす照明は無く、街灯だけがあたりを照らしている。ざっと見渡すと、聴衆

の人数は 50名くらいだろうか。多くは女性だ。服装は着の身着のままといった感じだ。音につられてちょっと表に出てきた、といった感じの服装の人が多い。多くは歩道に立ち、車道

のほう、あるいはステージのほうを向いている。壁にもたれかかっている人や、物売り用の

テーブルらしきものに腰掛けている人もいる。教会の集まりでは見られない、短いスカート

をはいた若い女性たちも数人いて、踊っている。子供たちがステージに腰掛け、それを見て

いる。ダンス向けの人気曲がかけられるときには、踊る人々が車道を占拠するように闊歩す

る。さも楽しげに積極的に踊っている人もいれば、軽く体をゆするだけの人も、腕組みをし

て遠巻きに傍観している人もいる。 MC の紹介を受けてステージに上がったプロディガル・サンは、拍手で迎えられる。ごく

32 この伝道集会は、プレイズ・ハウス・ボンバーズ(Prayz House Bombards)という、ダンスホール・ゴスペルを用いた伝道活動を行っているグループによって行われたものである。このグループはあるラジオ局のゴ

スペル番組のラジオDJを務めていた男性が率いている。このグループが活動を行うのは、主に「インナー・シティ」と呼ばれる地域である。その地域の教会と協力して日時と場所をセッティングする。そしてその男

性が所有するサウンドシステムの用意とゴスペル・アーティストたちの手配を行う。

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小さなステージだが、ステージ衣装と呼べる身なりをしている。デザインの入ったジーンズ、

チェック柄のセーター、マフラーに帽子という亜熱帯のジャマイカの気候を考えれば暑苦し

いであろう服で着飾っている。これはジャマイカではあまり見ないファッションである。 マイクを持った彼は観衆と少し言葉を交わした後、すぐに用意した音源をかけるように

MCに指示する。スピーカーから流れてきたのは、彼のヒット曲「ケッチ・ア・ファイア( ‘Ketch a Fire’)」。伝統的な賛美歌の雰囲気と現代的なダンスホールのリズムを併せ持つ曲である。この手の曲は特に女性や子供に人気がある。このときも音源がかかると瞬時に、何人かの女

性が曲を認識し、熱狂的な歓声を上げ、踊り始める。この曲を歌い終えた後、プロディガル・

サンは次のように述べた。 俺たちはゲットーの出だよ。俺たちはギャリソン(garrison)・ピープルさ。わかるかい?俺たちはギャリソンを心から愛している。俺たちは代表するのを止めないよ、たと

え・・・・・・俺たちはキリスト教徒だけど、一生ギャリソンさ。 ジャマイカでは「ギャリソン」という語は、地域のギャング集団およびそれがコントロー

ルする地域を指す言葉として使われる33。プロディガル・サンは回心する以前にはガンマン

であったということを公にしているが、彼は「キリスト教徒」となった今でも「ギャリソン」

であるという。「ギャリソン」は銃犯罪のイメージと結びついており、当然キリスト教の倫理

観とは相容れない。自身を「キリスト教徒」でありながら「ギャリソン」でもあるとするプ

ロディガル・サンの自己提示は、聞く者に違和感を覚えさせるものであるが、彼はあえてそ

のような男性イメージを提示している。 この語りに続いて、彼は自分の楽曲を 3曲パフォーマンスした。最初の曲は、「頭を冷やせ(‘Head Cyaan Hot So’)」。これは彼の最新曲で、ビデオも作られ、テレビで放映されている。ダンスホール音楽のランキング・チャートでも、上位にランク・インした曲で、「キリスト教

徒」ではない人たちの間でも人気がある。コーラス部分では「みんな、そんなに頭を熱くす

るなよ/友達から挑まれればすぐに殺す/赤子をレイプ34、それがお前らの向かった先か/

言っとくぞ、父なる神様はお前を見てるぜ」と歌われるが、聴衆はこの部分を一緒に歌って

いた。この曲のほかの部分では、「ギャングスタ、本当のことを教えてくれよ、ギャングスタ / 本当のギャングスタはアナンダ35を殺したりしないだろ / もし 666 がお前のスポンサーなら / お前は神に答えないといけないってことを覚えとけよ」と歌われる。ここには「ギャングスタ」に対して、「本当のギャングスタはアナンダを殺したりしないだろ」と、ギャングス

33 キングストンには「ギャリソン・エリア」と呼ばれる区域が数多く存在する。ジャマイカの二大政党、PNP(People’s National Party)と JLP(Jamaica Labour Party)は、1930年代に形成されて以来、地域コミュニティに根ざした選挙活動で票を獲得し、その見返りにその地域コミュニティのインフラストラクチャの改善や住

民への職の斡旋を行うというやり方で政治を行ってきた。その結果として各党の支持区域が形成された。さ

らに 1970年代には各政党の政治家が自分たちの支持区域のギャングに銃を支給し、自分たちの区域をコントロールさせ、反対政党の支持者を襲撃させたといわれる。このように政治とギャングが地域コミュニティに

おいて癒着することによってギャリソン・エリアは形成された。1990年代にはギャングは麻薬の密輸によって資金を得るようになり、政治家たちに頼らなくなったが、地域コミュニティに根ざした政治は続き、ギャ

ング間の抗争による殺人事件数はむしろ増加している。 34 2008年には子供に対する性的暴行や誘拐殺害事件の報道が連続した。 35 アナンダは 2008年に誘拐殺人事件の被害にあった女児の名前。

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タの本質を肯定的に捉えた発言がみられる。 次に歌った曲は、「溶岩の大地 (‘Lava Ground’)」。若い「キリスト教徒」の間で大変人気がある曲だ。「銃を持っているかのように聖書を撃て」と歌われる曲では、「ブラッダッダッ

ダッダッダッダ、悪霊の血を流させろ!」など、銃声を模した歌詞が歌われ、人々の反応も

そこが最も大きい。ここでは銃は聖書にもとづいた言葉を発することの比喩として使われて

いるが、やはり銃を持った「ギャリソン」的なイメージも喚起され、それが人々に喜ばれて

いるといえる。

3つ目の曲は、「ギャリソンへ戻れ(‘Back to the Garrison’)」。この曲では、実在の地域名や人物名を使って、ギャリソン・コミュニティの「ドン」に代わる存在として有名な牧師やゴ

スペル・アーティストたちを送り込むイメージが歌われる。 この 3曲をパフォーマンスした後、彼は過去に自分は長く「世界(world)」で生きてきたが、それでも神を愛していた、という語りを行った。

シャッタ36たちは皆、俺がかつてストリートを仕切っていたことを知っているよ。俺た

ちは・・・・・・俺たちはブローニング銃を前のポケットに入れ、青いバイブル37を後ろのポ

ケットに入れていた。それからたぶん、真ん中のポケットにはウィード(マリファナ)

の袋が一つ。そんな感じだったよ。だっていろいろなことが起こっている中で、それ

でも俺たちは「ああ、神様」と言ったもんだ。だって俺たちはその方がすべてをお造

りになったことを知っているからね。わかるかい?だから俺たちは男たちに言うよ。

「よう。無意味な殺しは何にもならないぜ」って。

このようにプロディガル・サンは「キリスト教であるがギャリソン」というアイデンティ

ティをもっており、彼がステージ上で表現する男性イメージはそのアイデンティティに基づ

いたものであり、またそれを補強するものでもある。ガディ・ガディの場合と同じく、プロ

ディガル・サンの表現する男性イメージも、従来の「ソフト」な「キリスト教徒」というイ

メージを払しょくし、「キリスト教徒」とは相容れないと想定されがちなものを含みこんだア

ンビバレントなものであるということができる。ただし、プロディガル・サンのほうは自分

が過去に「ギャリソン」「ギャングスタ」であったという事実が彼がアーティストとして活動

するうえで持つメリットを自覚し、それを積極的に利用したイメージ作りを行っている。こ

のように、回心前の自己との継続性を強調することは「キリスト教徒」になるにあたって「生

まれ変わり(born again)」を強調するペンテコステ派が主流のジャマイカでは批判を招きや

すいものである。 4.3 ダンスホール・ゴスペルが教会コミュニティに与える影響 ガディ・ガディもプロディガル・サンもアンビバレントな「キリスト教徒」男性のイメー

ジを体現している。これは他の多くのゴスペルDeejayたちにも言えることである。2章でみたように、先行研究の中では、牧師や説教師などがこのようなアンビバレントな男性イメー

36 シャッタ(shotta)は英語の shooterから派生した語。ガンマンと同じ意味で使われる。 37 街頭で無料で配布されているポケットサイズの聖書。

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ジを持っているということがいわれてきた。ゴスペルDeejayたちが体現する男性イメージも、基本的にはこれと同じ種類のものだと言える。しかしながら、牧師や説教師の場合にはその

ようなアンビバレントさはおそらく本人の意思に関わらず自然に現れてくるものであるのに

対し、ゴスペルDeejayたちの場合には、それは意図的に操作され、アーティストとしての活動のために積極的に利用されている点に違いがあるといえよう。 このようなアンビバレントな「キリスト教徒」男性のイメージがダンスホール・ゴスペル

を通して称揚されるようになったことにより、教会コミュニティは以下の二つの側面で影響

を受けている。まず一つ目は、教会内部の若者たちへの影響である。従来教会コミュニティ

には、若い「キリスト教徒」男性たちが肯定的な自己イメージを持ちにくいという事情があ

った。その理由の一つは、2 章でみたように、彼らが外部の男性たちから「ソフト」として軽蔑されるということである。さらにそれに加え、もう一つ次のような事情もある。「男性は

女性を導く立場にあるべき」というのがジャマイカの「キリスト教徒」の男女の共通了解で

ある。したがって、教会コミュニティの大多数が女性であるにも関わらず、牧師や長老(elder)、執事(deacon)といったリーダー的な役割は、ほぼ男性によって占められている。このようなリーダー的な役割において自己の能力を示すことは、教会コミュニティにおいて、男性た

ちが肯定的な自己イメージを築くために重要なことである (Austin-Broos 1997: 123)。しかし、リーダー的な役割には年配の男性が就くことが多く、若い男性に自己の能力を表現する

機会が与えられることは少ない。そのため若い「キリスト教徒」男性は肯定的な自己イメー

ジを持ちにくいのである。 ところがゴスペルDeejayたちが人気を得たことにより、教会コミュニティ内の若い「キリスト教徒」男性たちがそれを模してDeejayのパフォーマンスをするようになった。このことが状況を変えつつある。例えば、17歳の Aがゴスペル Deejayを始めたのは、ある他のゴスペルDeejayが教会の催しでパフォーマンスをし、少女たちから賞賛を受けているのを目にしたのがきっかけだった。自分もそのような賞賛を浴びたいという思いからゴスペルDeejayをはじめ、その後「キリスト教徒」になったという。 この Aの例にみられるように、ゴスペルDeejayを模して教会の催しでDeejayをすることは、女性たちの前で自分の能力を証明し、肯定的な自己イメージを得ることを可能にする。

また、ゴスペルDeejayをする若者たちは、英語ではなく、彼らが日常会話で使っているパトワ語で表現することができる。これも彼らが自分のメッセージをより自然に表現することを

可能にしている。さらに彼らは、ガディ・ガディやプロディガル・サンのような成功したゴ

スペルDeejayたちに倣い、歌の中で悪魔や誘惑、堕落などとの戦いを武器や戦争などの比喩

を使って表現することで、自分の強さを表現できる。このことも、彼らが肯定的な自己イメ

ージを築くのを助けているといえる。 ゴスペルDeejayを模してパフォーマンスを行う若い「キリスト教徒」男性だけでなく、教会コミュニティの若者グループもゴスペルDeejayの男性イメージの影響を受けている。ゴスペルDeejayたちのアンビバレントな男性イメージは、教会の若者たちが教会コミュニティの中で年配者や指導者に対する対抗的なアイデンティティを形成するのを助けている。のであ

る。 例えば、私があるゴスペルDeejayに随伴して訪れた、あるペンテコステ派教会の若者たち

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の催しでも、そのような対抗的なアイデンティティの形成をうかがうことができた。この催

しはその教会の青年部(Youth Ministry)によって、教会ホールの屋上にあるレクリエーション・スペースで行われていた。ゴスペルDeejayとともに会場に到着した直後、この教会が比較的古風なペンテコステ派教会であることを知っていた私は、この教会でダンスホール・ゴ

スペルを使ったイベントをやっていることを意外に思い、私たちを出迎えたリーダーの少女

にそのことを話した。するとその少女は、「さっきも音楽を流していて年配の人から文句を言

われたわ。教会でなんて音楽をながしているんだ、って。だけどこれは私たちの催しだし、

私たちの音楽よ。誰にも止められないわ。」と話していた。後にこの教会の牧師が、確かにダ

ンスホール・ゴスペルに対して批判的を持っていることが確認できた。 この少女の言葉に表れているように、教会コミュニティの若者たちは、、教会コミュニティ

の年配者や指導者たちの不理解と自分たちの正しさを強調しながらダンスホール・ゴスペル

を使うことによって、教会コミュニティ内の権威や体制に対しての対抗的なアイデンティテ

ィをつくりだしている。それは従順ではない、戦う者としてのアイデンティティである。そ

れは自らをラディカルな存在として演出しているゴスペル Deejay たちのイメージに饗応したものであると言えよう。 ゴスペルDeejayの男性イメージが教会に与えている影響の二つ目は、教会コミュニティとその外部との関係に及ぼされる影響である。2章でみたように、「キリスト教徒」男性は「ソフト」であると外部の男性からしばしば軽蔑される。このため、「キリスト教徒」男性は 3章でみたガディ・ガディの「証し」に見られたような劣等感をもつことも少なくない。ゴス

ペルDeejayの男性イメージはこの劣等感の払拭に役立っているのである。 例えば、23歳の Bは精力的に活動する駆け出しのゴスペル Deejayである。彼は目立って身長が低く、そのことで人から笑われることもある。しかし、彼はそれを逆手にとり、歌の

中では「ガンマン」「バッドマン」と対峙して「罪とは高い建物のようなもの。悪魔が押せば、

おまえはすぐに死んでしまうぞ。」とひるむことなく説得する様子をうたう。パフォーマンス

の際には、目の前に立つ「ガンマン」「バッドマン」を下から見上げるようにして語りかける

ポーズをとり、人々を笑わせている。 これは、「ガンマン」「バッドマン」を踏み台とした、自己の能力の演出としてとることが

できる。ガディ・ガディやプロディガル・サンはパフォーマンスの中で非「キリスト教徒」

を断罪していた。そのやり方は、彼らを模してゴスペルDeejayをやっている若い「キリスト教徒」たちにも引き継がれている。これによって、彼らは「ガンマン」「バッドマン」に代表

されるような非「キリスト教徒」男性との力関係をそのパフォーマンスの中で転覆すること

ができ、それによって彼らに対する劣等感を払拭することができるのだろう。 さらにゴスペルDeejayたちの男性イメージには、教会コミュニティが行う伝道活動において効果をもつものだという期待がなされている。たとえば、インナー・シティの路上や広場

で、その近隣にある教会と協力して、ダンスホール・ゴスペルの音源やゴスペルDeejayのパフォーマンスを中心とした伝道集会を行っている男性Cは、その活動中のMCでしばしばそのような考えを語っていた。ある夜、その伝道集会であるゴスペルDeejayがパフォーマンスをしている最中に、集まっていた女性の何人かが不快感を表現するしぐさをしたため、その

ゴスペルDeejayはパフォーマンスを途中で打ち切った。彼からマイクを受け取った Cは、こ

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のゴスペル Deejayをかばうようにして、「私たちが話しかけることができない男たちに話しかけていたんだ」と人々に弁明をはじめた。教会に寄りつかない男性たちは、ラフで粗暴な

話し方で、リーズニング(論じ合い)をしている。だから自分たちは彼らにあわせて、「男性

たちに届くゴスペル」を彼らに与えなければいけないのだ、と Cは語った。ここでは、Deejayという歌唱法とダンスホールという音楽形式が伝道において有効であることが主張されてい

る。「彼ら」のやり方に合わせることで、「彼ら」にメッセージを届けることができるという

のである。ゴスペルDeejayの服装や、態度、人づきあいなども、これと同じような論理で正

当化されるのをしばしば耳にする。それらを総合的にイメージ化するのがゴスペルDeejayたちが体現する男性イメージである。その男性イメージには伝道の場面で効果をもつことが期

待されているといえる。 5. おわりに ここでみたダンスホール・ゴスペルの事例に見られるような、男性イメージが集団や社会

に影響を与える過程は、1 章で整理した、カリブ海地域の男性性研究に見られる三つのパースペクティブでは捉えることができない。 黒人男性の周縁性をめぐる議論のように男性の位置づけを見ようとするパースペクティブ

では、ゴスペルDeejayたちが「キリスト教徒」としては非典型的な存在であり、それゆえ教会コミュニティの中では周縁に位置しながらも、しかしそれによりむしろ力を持っていると

いうことを見逃してしまうだろう。教会コミュニティの若い男性たちも、ゴスペルDeejayたちの男性イメージを模すことで肯定的な自己イメージを獲得し、あるいは対抗的なアイデン

ティティを形成し、力をつけつつあるといえる。「周縁」という語はそこにおける力の不在を

ほのめかすものであるがゆえに、周縁的位置における力の形成を捉えることができない。 男性の意識面に注目し、規範意識や理想を取り上げるパースペクティブでは、教会コミュ

ニティの中に存在する立場の差異や、また「キリスト教徒」男性と非「キリスト教徒」男性

の間に存在する差異と関係性を捉えることができない。ましてその関係性が変化していく様

子は規範意識や理想からだけでは説明することができない。 男性性を「覇権」という固定的な力関係にのみに限って考察しようとするパースペクティ

ブでは、状況によって変化する入り組んだ関係性の動態を捉えることができない。例えば社

会全体を俯瞰すれば社会的に共有された倫理道徳を体現すると見なさられる「キリスト教徒」

男性のほうが理想とされ、その意味では力を持っているといえるが、男性どうしの日常的で

対面的な場面では、「キリスト教徒」男性は非「キリスト教徒」男性から嘲笑されることがし

ばしばあり、その意味では力を持っていないといえる。覇権的男性性概念はこのような入り

組んだ力関係の状況を捉える事が出来ない。ましてや男性イメージが教会コミュニティ内部

と外部の関係性にもたらす影響は考察不可能である。男性ジェンダーの変化やそれと関連し

た社会的な変化は、「覇権」を確立させる文化的理想と制度的権力の一致よりも、むしろその

ずれから生じてくる。言いかえれば、「覇権」が確立していない、複雑な権力関係が存在する

状況にこそ、男性ジェンダーの変化を捉えるためには注目する必要があるのだ。 では、どのような概念を用いれば、ダンスホール・ゴスペルの事例に見られるような男性

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イメージが集団や社会に与える影響を考察することができるだろうか。ダンスホール・ゴス

ペルの場合、その影響が及ぼされる過程で重要な要素となるのは、「パフォーマンス」と「模

倣」であろう。ならば、その過程を捉えることが期待できるのはジュディス・バトラーのパ

フォーマティビティの概念である。バトラーはジェンダー・アイデンティティを「パフォー

マティブに」、つまりパフォーマンスを通して構築されるものと考えている。そしてそのパフ

ォーマンスは様式的な反復行為であるという(バトラー 1999: 247)。またバトラーはパフォーマンスという語に、「強制的な社会的虚構」が求める目標を「遂行(パフォーム)」するた

めの行為という意味と、「他の儀礼的な社会ドラマと同様に」、反復的に「演じ」られ、「経験

される」ものという意味を持たせている。 また重要なのは、このパフォーマンスは失敗の可能性をもつ「模倣」であり、それは時と

してアイデンティティに「攪乱」をもたらすパロディ的な「模倣」となり得、その反復によ

って構築されるジェンダーは変容される可能性を持っているということである(バトラー 1999: 247-48)。 ゴスペルDeejayたちが、「キリスト教徒」のイメージと「バッドマン」「ギャングスタ」のイメージを操作しながら体現していることは、バトラーのいうパロディ的な模倣であるとい

えるだろう。その模倣のパフォーマンスを通して、彼らは「キリスト教徒らしさ」という「社

会的虚構」を見る者に問い直させる力をもっているということができる。 しかし、ゴスペルDeejayたちのイメージの構築が、「キリスト教徒」と非「キリスト教徒」という二つの集団の差異と関係性を土台として行われており、彼らの作り出した男性イメー

ジもその二つの集団の差異と関係性を変化させるかたちで影響しているということは、イデ

オロギーと個的な行為者の関係のみに注目したバトラーのパフォーマティビティの概念だけ

では捉えきることができないだろう。この点で、「彼女のエージェント論に欠如しているのは

共同性という視点である」という田中のバトラー批判は的を得ているといえよう (田中 2002: 350)。田中はバトラーのパフォーマティビティとレイヴとウェンガーによる「実践コミュニティ」の概念を接合し、「パフォーマティビティのコミュニティ」という概念を提唱し

ている。田中によると「パフォーマティビティのコミュニティ」とは社会そのものであり、

日常生活は権力との不断の交渉の場となる(田中 2002: 354)。 これは確かにバトラーのパフォーマティビティの概念では捉えることができない、教会コ

ミュニティ内部へのゴスペル Deejay の男性イメージの影響を捉えることができる概念である。しかしその一方で、男性イメージの構築が集団の外部との関係性にも規定されながら形

作られると同時にその関係性を変化させるという側面を捉えることができないという点で欠

点を残している。現在の社会では、アパデュライのいうように、それぞれの行為者は集団や

社会の枠を超えた「スケープ」の中に置かれていると考えるべきである (アパデュライ 2004: 69-70)。そのような外部との関係性の中で、行為者がどのように想像力を働かせ、それによって実践をかたちづくり、またそれを他者のそれと交渉させていくのか。田中の「パフォー

マティビティのコミュニティ」の概念をアパデュライの「近接(ネイバーフッド)」の概念と

接合し、「パフォーマティビティの近接」という概念を構想し、これを男性イメージが集団さ

らには社会に与える影響を考察するための概念とすることもできるかもしれないが、この模

索はまた別稿で行うこととしたい。

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謝辞 本稿をGCOEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」よりワーキング・ペーパーとして印刷するご支援をいただいたことに感謝申し上げます。

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写真1: Fun in the Son 2009でパフォーマンスするガディ・ガディ

写真 2:Fun in the Son 2009 ステージ遠景

写真 3:マックスフィールド通りで行われた伝道集会でパフォーマンスするプロディガル・サン

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